2月19日(土) 曇りのち雨
名張市がん・難病相談室は、毎月第3水曜日の午後1時から4時に、中央運動公園の名張市勤労者福祉会館の小会議室で開かれる。
毎月1回、開室前にポットにお湯を沸かし、パソコンとジェットプリンタをセットする。
それから、ロッカーの電話機を引き出し留守番電話をチェックする。
今月は5件の留守番電話が残されており、うち番号を残しておられた2件の方に電話をしたら、母上から「娘がお世話になっておりましたか。 残念ながら亡くなったのです」と聞かされ、胸に刺さるような痛みを覚えた。
もうお一方は、「弟の手術前にお訊ねしたいことがあったのですが、もう、手術も終わりましたので…」とのことで、1か月の時間の経過を待ちながら58歳で逝かれた方と、弟さんを不安の中手術に向かわせてしまった悔いが強く残った。
留守番電話の応答メッセージを変更し、「お急ぎの方は、090-5614…」と自分の携帯電話を吹き込んで、16秒の間に収めた。
これからも、【名張市のがん・難病相談は、悩みに即時寄り添う】スタイルでありたい。
それが繋がることの無かった逝友さんへの鎮魂であり、術前の相談に応えられずお役に立てなかった姉弟さんへのささやかな贖罪である。
市役所の担当者さんには、事後承諾になるけれど、月曜日に連絡をしておこう。
◆
3時40分過ぎに、「今からでもよろしいでしょうか? あのぉ、相談の秘密は守っていただけるでしょうか?」と、40代と思しき女性が訪ねて来られた。
「もちろんですとも! 昔は、きちんと報告データを役所に提出していたのだけれど、個人情報保護法が出来てから、私のメモにしか残していません」
安心なされた彼女は、17年前の右乳がんが5年前に左に転移し、いままた、骨とリンパに転移してきたという、ご自分の病歴をとても明るく楽しそうに
話し出された。
相槌を打ちながら、同じ病者として【余命半年】の病状を已む無く受け入れ、生き延びるための二択の選択肢を、祈るような気持ちで「生きる、生きられる」と信じて舵を切ってきた、あの辛い切ない日々を思い起こし、「OK、大丈夫! これからが真の闘病ですよ」と話せる自分が嬉しい♪
話の途中でとつぜん、携帯の写真を見せて「この方の講演会を最前列で聞かせてもらったんですけど、あの時、司会をされていた方ですよ、ね?」、「あら、懐かしい。一昨年の『名張で学ぶがん医療』講演会にお出ましくださった垣添忠生先生の講演会…。 確かに私が企画して司会も引き受けましたが」
「やっぱり‼ では、この写真に見覚えは?」、「えっ。 お帰りを急いでおられた垣添先生に『素晴らしいお話でした。 握手をしてくださいませ~』と来られて、私がシャッターを押したのでしたね。 良く覚えていますよ」
私たちは、しばらく、その日の思い出話で盛り上がった。
不安そうに入室された彼女の頬がみるみる紅潮し、【自然治癒力・自己免疫力を上げておられるね! それって副作用の無い抗がん治療ですよ!!】と、無言のエールを贈る。
垣添先生は、最愛の奥さまをがんで見送り、『妻を看取る日―国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録―』は、【夫に読ませたい本・NO.1】と称された。
「あの日、とても感動的なお話に、勇気をいただきました」。 今も心に残る講演会に、ご自分と目の前の相談員が関わっていたことに大きく安堵なされたようで、これまでの闘病話が次々ととめどなく続き、本日の相談室の終了は予定を1時間半以上も超過してしまった。
窓のブラインドを下ろしてくださったり、終了のお手伝いをして名残惜しそうに帰って行かれた。
ゆみこさん、OK、大丈夫ですよ!
頑張りましょう、ご一緒に♪
福祉会館を後にした時は、午後6時を過ぎていた。
7時からは、ご近所さんの三人会が予定されているので、帰途コンビニでバナナとサンドイッチを購入し、直接うかがった。
珈琲を淹れていただき、オリンピックの中継を観ながら、ご主人さまと4人で話す。
深夜に、インスリン投与ののち、友人にいただいたきのこたっぷりの豚丼を、ご飯少しでいただく。
「この後、5時間はNet検索とメール返信の時間だもの。 カロリーのヘビ―摂取にはならないわ♪」
明日は日曜だから、「午前4時就寝・午前11時起床」にいたしましょう。
ゆみこさん?でしょうか、応援しています。頑張ってくださいませ!!