5月3日(日・祝)曇のち雨
日本国の、憲法記念日。
1947年の今日、日本国憲法が発布され、「国民主権」「 平和主義」「基本的人権の尊重」という3本柱を掲げ、その後70年もの間も変更されることなく今に至っている。
それにつけても、過去何年もの間議論されてきた『第9条 戦争放棄』について、誰もが考える時にきている、と思う。
『第2章 戦争の放棄
「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』
幾度読み返しても、世界に誇れる格調高い、堂々の平和宣言である。
この条文のように、世界の中で日本が侵されることなく生きていけるのが理想ではある。
けれども、隣国らから内政干渉のような発言をされたり、わが領土が話し合いもなく徐々に占拠されたり、国際裁判所での話し合いも拒まれたりする現状を見聞するにつけ、「この条文で国が守れるのかしら?」と案ずるのは、さくらばかりではない、と思う。
思い起こせば、明治政府が【五箇条の御誓文】の筆頭に、「廣ク會議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」を掲げたごとく、いまこそ広く議論を起こし、この国の進むべき道を明確にしなければならないのでは、と切に思う。
今日から我が家のGWが始まり、来春の大学受験に備え塾通いのぎんしろうとかぁさんを除く7人が夕ご飯を楽しんだ。
直接責任のない孫たちの世代に、先代のツケを回してはならないのではないか?
私たちに出来ることは、私たちの時代に、しておかなければならないのではないか?
食後、思い思いにくつろぐ息子夫婦と孫たちを見ながら、私たちの果たすべき責任は何か、と考える。
それを為遂げて、死のうと思う。
昨日は、衣替えのほかに暖房具を仕舞った。
残った灯油をタンクから抜き取り、芯を空焚きした。
石油の枯渇も謂われて久しいのに、代替エネルギーも未だ私たちには示されていない。
資源小国・にっぽんの、エネルギーの未来にも思いを致さねば!
いやはや、思うことども多けれど、身の無力を嘆く春ではある。
庭の草木に水遣りをしていたら、鉢植えの鉄仙が4輪咲いている。
玄関に回ったら、槙の木に亡夫が根付けしていかれた石斛(せっこく)が、可憐な花をさかせている。
次男のカミさんの母上が、鉢植えでくださったものを、槙の木を削ってケト土を貼り付け、寄生蘭に仕立てていかれたのだった。
『年年歳歳花相似 歳歳年年人不同』(代悲白頭翁 劉希夷)
毎年のように、花は咲けども…
日本国の、憲法記念日。
1947年の今日、日本国憲法が発布され、「国民主権」「 平和主義」「基本的人権の尊重」という3本柱を掲げ、その後70年もの間も変更されることなく今に至っている。
それにつけても、過去何年もの間議論されてきた『第9条 戦争放棄』について、誰もが考える時にきている、と思う。
『第2章 戦争の放棄
「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』
幾度読み返しても、世界に誇れる格調高い、堂々の平和宣言である。
この条文のように、世界の中で日本が侵されることなく生きていけるのが理想ではある。
けれども、隣国らから内政干渉のような発言をされたり、わが領土が話し合いもなく徐々に占拠されたり、国際裁判所での話し合いも拒まれたりする現状を見聞するにつけ、「この条文で国が守れるのかしら?」と案ずるのは、さくらばかりではない、と思う。
思い起こせば、明治政府が【五箇条の御誓文】の筆頭に、「廣ク會議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」を掲げたごとく、いまこそ広く議論を起こし、この国の進むべき道を明確にしなければならないのでは、と切に思う。
今日から我が家のGWが始まり、来春の大学受験に備え塾通いのぎんしろうとかぁさんを除く7人が夕ご飯を楽しんだ。
直接責任のない孫たちの世代に、先代のツケを回してはならないのではないか?
私たちに出来ることは、私たちの時代に、しておかなければならないのではないか?
食後、思い思いにくつろぐ息子夫婦と孫たちを見ながら、私たちの果たすべき責任は何か、と考える。
それを為遂げて、死のうと思う。
昨日は、衣替えのほかに暖房具を仕舞った。
残った灯油をタンクから抜き取り、芯を空焚きした。
石油の枯渇も謂われて久しいのに、代替エネルギーも未だ私たちには示されていない。
資源小国・にっぽんの、エネルギーの未来にも思いを致さねば!
いやはや、思うことども多けれど、身の無力を嘆く春ではある。
庭の草木に水遣りをしていたら、鉢植えの鉄仙が4輪咲いている。
玄関に回ったら、槙の木に亡夫が根付けしていかれた石斛(せっこく)が、可憐な花をさかせている。
次男のカミさんの母上が、鉢植えでくださったものを、槙の木を削ってケト土を貼り付け、寄生蘭に仕立てていかれたのだった。
『年年歳歳花相似 歳歳年年人不同』(代悲白頭翁 劉希夷)
毎年のように、花は咲けども…
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