変な天候で、薄曇りだったけれど陽射しがあり、洗濯物はバルコニーに干した。高校野球に見入っていたら、何となく窓外で雨音がする。今朝は花たちに水遣りをしたのに要らなかったのか。でも、しばらくすると雨は止み陽が差してきた。
天候の変化は仕方がないが、統一教会と政治家の関係はなかなかすっきりしない。政教分離と信仰の自由がごちゃ混ぜになっている。政教分離は国家や行政が、特定の宗教を国民・市民に押し付けないことだ。みんなで揃っての靖国神社参拝を強要するとか、参拝料を町内で一律に集めたりしてはダメということだ。
だから、政治家が1つの宗教を信奉しても、ある宗教がひとりの政治家を応援することをダメだということではない。ただ、その宗教に対する立場を問われて、キチンと説明できないような政治家は、宗教を利用しているのであって信仰心はないと言える。
選挙を経験した人なら、たとえ5百票や1千票で当選できる地方議員選挙でも、大勢の支持者がいなければ勝利できないことをしっている。候補者を知ってもらうために、チラシを配ってくれる、あるいは自分と一緒に地域を歩いてくれる、そういう運動員が必要だ。
候補者の人となりで、自然に支持者が集まってくれるけれど、そこにどういう立場で協力してくれている人かまで、調べたりはしないだろう。候補者が自分が何をどうしたいか、立場をはっきりすれば、協力するか否かも自ずとはっきりする。
何が何でも当選したい、それを目的にしていない候補者かを有権者は見極めることだ。ただ、お祭りのような選挙をさせないためには、有権者はトコトン候補者の政治信条や政策や人柄を知る必要がある。しかし有権者の立場で見ると、何となくボンヤリとしか見えていない。これは有権者がサボっているからではないだろうか。