今晩は夏祭りについてみんなで話し合う予定だったが、先程、ボスから電話があって、「来週の3・4日か、10・11日に延期する」と言う。理由は言われなかったが、何となく悪い予感がする。
夏祭りに参加するか否か、みんなで話し合って決めなければ上手くいかないことは分かっているはずだが、ボスは昔の人だから、呼びかければみんな従うと思っているようだ。みんなの気持ちがひとつになるように、根回しをする必要があるのに。
確かに以前なら、掛け声ひとつでみんなは動いた。けれど、3年もブランクがある。ここはひとつ、みんなの気持ちを大いに盛り上げる必要がある。いくら遊び仲間だといっても、集団となると心を動かすものが無ければダメだ。
明石市の前市長、泉房穂氏はワンマンで何事も自分で決めて突っ走ってきた。議会とも職員とも、妥協することも無く、自分を貫いてきた。その姿勢には感心するけれど、その手法には呆れるところがある。
今の日本の制度では、首長は大統領のような強い権限がある。けれど議会は、首長に不信任決議を行うことが出来る。泉氏のような市長は異例で、多くの首長は議会と仲良くやっている。そのために市民からは問題点が見えにくい。
ある意味で、日本の政治そのものが、国民から遠くに感じられるのはそのためだ。地方議員の選挙の投票率は50%を割るし、首長選ならもっと低くなる。私の住む北名古屋市は人口約8万人だが、どん尻の市議の当選は753票だった。
だから私は、地道にコツコツと地域を回って訴えれば当選できると説いている。けれど議員になると、何を活動しているのかよく見えない。当選できればいいだけの人だったのかとガッカリする。
みんなの気持ちをひとつにするには、やはり会話が必要だ。会話が成立するためには、相手の気持ちを察する努力が無くてはならない。