偶然だと思うけど、昨日に続いて今朝も、古い知り合いから電話があった。「仕事でこちらに来たので、どうしているかなと思って」と言う。聞けばすぐ近くにいるようなので、その辺では知られた喫茶店で待ち合わせることにした。
また、アホなことにその店は定休日だったが、彼は店の駐車場で待っていてくれた。一緒に近くの喫茶店に行く。何年ぶりだろう、20年以上になると思う。彼も私と同様に、頭髪の薄い年寄りになっていた。
彼は、私が無党派・市民派の地方議員の勉強会を立ち上げていた頃の知り合いだ。無党派は既成政党に属さないことを意味し、市民派は市民の目線での活動を意味していた。当時としては革新的な地方議員を現していた。
今はふたりとも議員では無いが、よもやま話から近頃の世相の話まで途絶えることが無かった。「安倍の国葬に、高齢者ほど反対なのに、若い人は賛成とは驚く」と言う。「我々の若い頃は、体制に反対することが若者の誇りだったのに」とふたりで笑った。
「このまま進むと、海外派兵を推し進めるんじゃーないか」と彼は言う。「若い人は自分のことしか考えないから、戦場へ行くとは思えないが、自分以外なら行かせるかも知れない。とんでもない時代になってきた」と私も話す。
若い人が保守化しているのは、そこそこに生きていられるからだろう。道路工事や家屋の解体など、埃にまみれるような現場にいるのは外国人労働者や年寄りだ。自分に災難が降りかかってこなければ、社会の不平等には目が向かない。
企業も大は中を使い、中は小を使うことで利益を上げている。一番下は休みなく働くことで食いつないでいる。目先のことに追われ、どうすることが良いのか、誰も分からない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます