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2019.01.14 夜中に胃痛、根菜はよく噛まないといけなかった。

(1月14日)

    

今日は、成人の日で祝日。国旗を揚げる。 
(明日は、この注連縄をどんと焼きに持って行く予定。 )

 

夜中に,胃痛がして目が醒めた。
最近、根菜を食べることが大切だと気が付いたのは良いけれど、
調子に乗ってどんどん食べて、あまり噛んでいなかったことに気が付く。
そうだ、私は胃が強くないのを忘れていた。反省。
いえ、胃が丈夫でも、よく噛まなければならない。特に根菜は!

根菜と言っても、ごぼうや蓮根ばかりとは限らない。
芋や、野菜を、沢山食べよう。
今日は、たっぷりの白菜を使って、白菜鍋を作ろうと思った。
 

 

チタン鍋特大(今は廃番)に、白菜、えのき茸、舞茸、水菜、葱を
たっぷり入れて、上から、鶏屋さんで売っていた鶏のスープを注いだ。 

 

水気が上がって来たが、色が濃い過ぎる。
スープの希釈の量を間違っていた。少し辛すぎた。

私は、いつもは昆布で鍋や汁物を作るが、今回初めて鶏屋さんで既製品の
スープを買って来た。水で割るらしいが、その量を間違ったらしい。

 

   

大量に作ったのに、私の勘違いで大失敗。

くったっとした白菜を沢山食べる予定だったが、辛くて無理だった。
やっぱり、いつもの昆布で作った鍋が一番と思った。
まあ、「こんなこともあるさ」の巻でした。 大変失礼致しました。 

 

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2019.01.13 根菜食開始、便秘と食事の量について思ったこと。

(1月13日)

山芋を、擂り鉢で擦る。

かつおだしを,加えてのばす。

(実は、山芋の使い差しが残っているのを覚えていたが、使えるかどうか心配していた。
念の為調べると、12/24に三分の一ほど使って、残りをチタンの保存容器に入れていたもの。
とんでもなく古い。
でもまだ充分使えそう。チタンなので、大丈夫かもしれないとは思っていたが。 )

 …ということで、擦り流し汁にしてみた。

 

(夕食)

サラダ(グリーンリーフ、水菜、人参、ソーセージ)、ごぼうと牛肉の旨煮(作り置き)、
蓮根のカレー炒め(作り置き)、 山芋擦り流し汁(海苔、わさび)、ご飯、お屠蘇
 

山芋の擦り流し汁は、やっぱり美味しかった。


<便秘と食事の量について>

私は、子供の頃から便秘症だった。
子供の頃は酷くてお腹にガスが溜まって、横隔膜挙上症になってしまった程。
今は、酷い便秘症とは言えないが、緩下剤を少しだけ飲んでいる。効かない時もある。
でも、薬はいずれ止められないものかと思っていた。 

先日、ふと思った。

少食が良くないのではないか?
沢山食べて、押し出さないといけないのではないか?
押し出される材料、つまり根菜や穀物等を充分食べてないのがいけないのではないか?
特に、私は通常,家にいる時は昼食は少量しか食べていない。これでは材料が足りない。
押し出せない。(尾籠な話ですみません。)

少なめの食事は止めよう。
試しにお昼をご飯にして、沢山食てみよう。
そう閃いた私は、さっそく、実験してみた。 

①試しに、1日目、近所のあかなすで日替わり定食680円(ご飯は少な目でと言わず、定量で。)
②2日目も、あかなすで、日替わり定食680円 (ご飯普通盛り)

もちろん、夕食は家で、ごぼうや蓮根等を多用して充分食べた。

…と、その実験結果ですが、
第1日目翌朝から、大成功!
第2日目翌朝も、大成功! 
そして、今日第3日目も、大成功!
便秘はなし。トイレで頑張る必要は、全くなし。 

…ということで、な〜んのことは無い、
便秘とは、単に押し出すものが不足していただけ!
…ではないかという結論に達しました。

食の細い人は、どうぞご参考に。原因はそれかも分かりません。 

根菜、野菜、穀物等、便となり押し出す力のあるものを充分摂取することが必要と分かりました。

ただ、こういう時、食べるものが無かった時代、食べるものが無い世界のことを思えば、申し訳
無さを覚えつつ、食べるものの溢れている今の日本に感謝しながら、この結論に達しました。

本日は、尾籠な話でごめんなさい。 



 

 

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2018.01.12 ヒペリカムの実と、トールペイントの額

(1月12日)

Bちゃんからメール。
「ことしもよろしくね。百合の花(造花のこと)出来たよ。
美味しいもん、初ランチしようや〜!」

彼女は、私の為に、百合の花と南天の実の造花を完成させてくれたらしい。
私も,この頃落ち込んでいたので、 久しぶりに3人で会いたい。

 

「赤い実と言えば、今我が家の玄関にヒペリカムの実を活けてるよ。」
と言うと、ヒペリカムを知らないらしく興味を示したので写メを送って上げる。
便利な世の中。 

彼女は、すぐネットで調べて、ヒペリカムも、又作ってみたいと言っている。
やる気充分な人やね。すごい! 

 

     

ところで、彼女は、我が家のこの上の漆塗りの額をまねて、トールペイントで
作っているけど、もう出来上がったかな?

聞くと、素晴しい出来で、本物と変わらないものになりそうだとのこと。 
送って来てくれた写メが、これ。
確かに素晴しい。あと1カ月ぐらいで、仕上がるとのこと。

でも、なんとまあ、ベニヤ板でここまで出来るの? あんたは天才かい?
出来上がりが楽しみ。

 

 

(夕食)

蓮根のカレー炒め、ごぼうと牛肉の旨煮(昨日の残り)、水菜と人参のサラダ、
お雑煮(かまぼこ、きぬさや、三つ葉、椎茸、柚子の皮、餅1個)、十穀ご飯、
お屠蘇

お雑煮の美味しかったこと!満足でした。 

 

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2019.01.11 昨夜は眠れました、そして「ごぼうと牛肉の旨煮」のこと。

久しぶりに、昨夜は眠れました。
悩んでいた「のばらさんロス」のことを、書かせて頂いたからでしょうね。
自分でも、思わぬ効果に驚きました。 

書くのが難しくて苦戦したので、寝たのは深夜2:30分。
しかし、嬉しいことには、ぐっすり眠れて、今朝起きたのは 9:26分でした。
熟睡の感がありました。 

嬉しい!
ようやく吐き出したら、眠れたなんて。こんなことがあるの?と思いました。

でも、私は良いけど、読まされる方は迷惑ですよね。クダクダと。
読んで頂いた方、どうかお許し下さいませ。有り難うございました。
 



<夕食は好物のごぼうの旨煮>

ごぼうはぶつぎり、又は乱切りが美味しいが、私は、歯の為に薄切りにした。
(ごぼうはさっと水に晒したが、晒さない方が良いとも言われている。)
鍋にごぼうを敷き詰めその上に牛肉を広げる。 油等は引かない。
少量の醤油と酒少々を廻し掛ける。
好みで、砂糖を使っても良い。

蓋をして、中火で煮る。
醤油と酒少々とごぼうの水気のみで煮る。
煮上がったら、上下を混ぜて、味を均等にする。
器に盛ってから、かいわれ等の青みを散らす。
牛肉を上等にすると、お客料理として喜ばれる。
 

(夕食)

ごぼうと牛肉の旨煮、胡瓜とジャコの酢の物、お吸い物(かまぼこ、椎茸、三つ葉、柚子の皮)
ご飯、お屠蘇

ごぼうの旨煮は大盛りにした。これで3回分ぐらいある。
やっぱり美味しい。大好物。
お吸い物の美味しかったこと。柚子の皮を入れたお吸い物は抜群。
お屠蘇は、まだ2袋あるので、急いで飲まなければ。
せっかく梅酒を頂いたのだから。

 

迎春用品の器の一部、まだ出している。
これが好きで片付けられられずに、今迄は、ひどい時には、お雛様迄出していたが、
これは反省。 来週には片付けたいと思う。   

 

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2019.01.10 今年も梅酒を頂く、そして苦しい「のばらさんロス」の日々。

(1月9日)

今年も、のばらさんのご主人から、梅酒が届けられた。
 

 8リットル入りの大瓶であった。
 

これは灯油などを移すのに使うポンプだと思うが、梅酒を移すのに重宝
している。昨年は、大型花瓶の水換えに使って助かった。
たった108円の優れもの。

のばらさんのご主人が、移し替えの時こぼすので、床中べとべとになると
言われていたので、このポンプを買ってきて、この日お渡しした。 

 

私は、わざわざ大きい清酒のパックを買って、空き箱を梅酒の移し替え用に
利用している。ガラス瓶は、割れそうで怖いから。
これが台所にゴロゴロあるので、知らない人は,私のことを酒豪だと思って
いるかも知れない。
清酒は、梅酒の無い時ぐいのみに1〜2杯の飲むぐらいで、料理にはよく使う。

のばらさんが生きていた頃は、週に2〜3回は会っていたので、梅干しも梅酒も
もっと小さな瓶で貰っていて、無くなれば又お替わりをしていた。
私も、始めはお替わりを遠慮していたが、のばらさんが言った言葉で、次から
安心してお願いする様になった。
それは、私のお替わりをご主人が喜んで、「え〜?そうかそうか?オーちゃん、
梅干し食べてるんや。えらいえらい!」と言って張り切って詰めているよと…。
え〜?お替わりすると褒めて貰えるの?それを聞いて私は態度が大きくなって、
次からは平気で梅干しと梅酒をお替わりしていた。
高価な物なので、材料費をお払いしたいと言っても、梅干しはお金を貰うと縁起
が悪いのだと言って、取ってくれなかった。本当かしら? 

その後、彼女が亡くなってからはご主人が大きな瓶のままで届け下さる様になった。

ちなみに、梅干しと梅酒の作り方は、のばらさんの母上から婿殿に伝えられていて、
のばらさんは作り方を知らなかった。
彼女が亡くなっても、ご主人から「これからも長生きして貰いたいので届けますから」
と言って貰っている。のばらさん、ありがとう!
 


 <苦しいのばらさんロスの日々>

今日は、朝10時の約束だったが、朝7時45分にピンポンが鳴って、びっくりした。
ご主人は、歯医者さんの予約を忘れていて、私とダブルブッキングしてしまったとの
ことで、あわててとんぼ返りで帰られた。 
8時に目覚ましを掛けていたが、この頃眠れなくて7時に起きていたので良かった。
しかし、今回時間がある筈だったので、近くの喫茶店へでも行って、ご主人にのばらさん
がいなくなってからの、私の「苦しいのばらさんロス」を聞いて貰おうと思っていたのに、
それが出来なかった。
(以前は私は明け方まで仕事をしていて、昼前にようやく起きていたので、のばらさんから
それを聞いていたご主人は、私が10時でも良いと言うと、びっくりされていた!そんなに
早く起きているのと。ショップの構築が一段落した今は、珍しく私も人並みになった。) 
 

毎日昼前に、のばらさんは「おはよう、 おーちゃん、起きてる?」と綺麗な優しい声で
電話をくれた。
二人の時間が合えば、車で迎えに来て、私が足が悪い間は、 神戸はもちろん有馬温泉や、
京都迄も車で連れて行ってくれた。
その頃、六甲連邦の山の名前を二人で全部覚えたものだった。
山に登った訳ではなく、ホテルオークラの最上階から眺めていただけだったが。
電話は毎日数回、そして会うのは3日に一度ぐらいだったか?
私の脚が治ってからはメールが多くなり、「今日の午後は暇よ、そっちは?」
それに対して、私も時間があれば電車で大阪、神戸へ出掛けたり、茨木で落ち会って、
彼女の車で色々なところへ連れて行って貰った。

彼女の家は裕福なお宅なのに、信条からかボランティアの仕事をしていて、仕事柄いつも
携帯電話を胸にぶら下げていたので、連絡がすぐ取れてお互いに返事を待たせることが
無かった。
20年程前は、彼女の帰宅は深夜11時だったので、それから電話をし合っていた。
遅く帰宅した彼女に、「偉いね。喜んでおられるでしょう?」と言うと「え?だれが?」
「相手の方がよ。」と言うと、何と彼女は「喜んでいるのは私よ。」と言った。
彼女の一回忌の時の食事の席で、私がこのことを言うと、彼女の優しく素晴しい三人の
娘さん達は、皆感動していた。

24年前の阪神大震災で神戸の我が家が全壊し、寝屋川の避難所から大阪に通勤しながら、
休日にボランティアの方達と大阪で集合して神戸の復興に通った1年半の間、ボランティア
の方々の中で一番大人しい彼女が、実は熱心な陰の推進者だった。人の気が付かない所への
配慮には頭が下がった。

1年半の避難生活の後、再建叶って神戸へ戻った時、一念発起して定年1年前に職場を辞めて
新しい目標に向かった私へ、彼女は全身全霊で励ましてくれた。

当時パソコンで漫画を描くことがプロの目標だった時代、おばさんの私は、漫画ではなく
花や風物等を描けないものかと無謀な挑戦をして、手探りでやり出した時、マッキントッシュ
の先生方がこんなことが出来るのかと驚愕して、これはどうやって描いたのか? 次からは、
作品を描く度にプリントして渡して欲しいと言われた頃、私はほとんど眠っていなかった。
朝日が射して朝だと分かる日々だった。それで筋肉を弱らせて、やがて歩けない程になった。
そんな危なっかしく歩み出した私を、彼女は惜しみなく励まし誉めてくれた。
おかしな表現だが、ヨチヨチ歩きの幼子に「アンヨは上手」と優しく手を打って歩かせる母親の
イメージを私はいつも感じていた。 

そして、20数年前ホームページを作った時、13年前ショップを作った時、11年前ブログを
始めた時、そして、それ以来ずっと絶え間なく、彼女に全部見て貰っていた。

もちろん彼女は素人だが、彼女は私に自信を持たせ、背中を押してくれる無くてはならない人
だった。
クヨクヨ型の私は、彼女の「いいやんか!」という一言で、不安と胸のつかえがストンと落ちて、
又前を向いて進むことが出来た。この「いいやんか!」に助けられた。
彼女は、あかんたれの私には母親の様な役割だった。実際に、娘3人、孫8人の子育て上手だった。

素人の彼女だけれど、いつも心から誉めてくれた。それは、ご主人も同じだった。
初めて握ったマウスで初めてのことに挑戦する私に、奇しくもこんな人達が居てくれたなんて!
いつも神様に感謝していた。
彼女の性格は簡単に書けるものではない。元職場の後輩で、50年間変わらない人だった。私は
心の中で観音様と呼んでいた。 もちろん今でもそう思っている。やっぱり観音様だったんだと。

今でも、何かがあった時、思わず電話をしようとして、もう彼女はいないのだと気付く時の
悲しさと虚しさ。
2年半経ってもそれは薄れない。却って深まっている。最近眠れなくなった。
(それで日中居眠りばかりしている。)
この思いをご主人に話して、お互いに共感したいと思っていたのに、出来なかったのが残念。

ブログを見て、毎日楽しそうでいいねと言う友人が居るが、苦しい「のばらさんロス」のことは、
なかなか伝わらないだろうと思う。今迄人に言ったことは一度も無い。

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2019.01.09 夕食御招待、そして注連縄探索。

(1月8日)

お昼過ぎ、画家のIさんから電話があった。(彼女は、元職場の同僚)
「今日はおひま?」 
「今から、六甲のクリニックへ出掛けるところ。」
「だったら丁度良かった。帰りに寄って! お食事をどうぞ。」とのこと。
そう言えば、彼女のお住まいは六甲から2駅隣で、しかも帰り方向なので、
丁度良いことになる。それで、伺った。
それにしても、彼女は超多忙の方なのに、いつも、このように誘ってくれる。
彼女によれば、歳を取れば何が有るか分からないので、会いたいと思ったら、
すぐ実行すると決めているのだとか。

 

手作りワインと手作りおせち三種(黒豆、ごまめ、数の子)

彼女は、山梨に葡萄の樹を所有していて、毎年自分で葡萄酒を作っているそうだ。
本日のご招待は、今回は息子さんがあまり飲まなかったので、そのワインが1本
残っているので、飲んで貰いたかったとのこと。

 

左は、子持ちししゃも、北海道から取り寄せた物だとか。
私は、魚卵が大好き。 とても美味しかった。

 

左は、手作りの千枚漬けで、昆布は五年ものだとか。
へえ〜? 三年物でもめったに無いのに!

 

次はカレーライスとサラダ、美味しかった。
彼女は、お料理を作るのは好きだけど、お掃除は嫌いなのよといつも言う。

 

和菓子とコーヒー
彼女は大変なコーヒー好き、さすがに美味しかった。 

 

<山の中で迷う>

彼女のお宅へは何度も伺っているのに、迷ってしまって、山の奥迄行ってしまった。
その理由は、このような豪邸が並んでいる場所では、注連縄はどんな物が張られて
いるのかなと言う興味があったので、右のお宅を見て左のお宅を見て大忙しだった。
しかし、注連縄が張られているお宅は、とても少なくて、少し驚いた。

一軒だけ、Xmasらしいイルミネーションがピカピカ光っている庭があり、
あそこはクリスチャンらしいので注連縄は無いでしょうね、と思って近づくと
玄関に大きな注連縄と、そして大きな見事な門松があってびっくりした。
この途中で、門松を見たのは、ここだけだった。
実はこの家のまさに向かいが I さんの家だったが、私は気付かず通り過ぎていた。 

 

山の急斜面を登ると、古刹があった。こんな所通ったかしら?

注連縄に気を取られて、彼女の家を通り過ぎていたことが、後で分かった。
彼女でさえ、ここの神社迄上がって来たことは無かったそうだ。 

 

本殿が綺麗だった。ここで、お参りした。

彼女は迎えに来てくれて、「よくこんな所迄登って来たわね。この辺の人達は
歩くのは無理なので、皆さんタクシーを使っているのよ。あなたが、あそこ迄
登れたなんてすごいわ。足がすっかり治った証拠よ。」と言っていた。
いやはや、大変だった。思わぬことから、こんな経験をした。 
 

※ ふと、後で気が付いてネットで調べると、注連縄は7日に外す所もあるらしい。

実は、マンションの我が家のお隣さんのドアから、急に注連縄が無くなったので、
どうしたのかなと思っていた。
考えてみるとその日が7日だった。私は15日のどんと焼きまで、上げておくのだと
思っていた。地方によって違うらしいことが分かった。
私がここを通ったのは8日だったので、注連縄が余りにも少なかったのは、もう、
外された後だったからかも知れない。8日では参考にならなかった。

又々、訳の分からないことで騒ぎまして済みません。 又もや、馬鹿丸出しでした。
 



(追記)
注連縄と言えば、もう7〜8年前のこと、 のばらさんのご近所では、注連縄をして
いるお宅が多かったので、写真を撮っておいてねと頼んだら、のばらさんのご主人が
ご近所廻り50軒ぐらいの注連縄の写真を撮って来て、送って下さったことがある。
それを思い出した。その頃、私は何故そんなに注連縄注連縄と思ったのだったかしら?

 

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2018.01.08 元旦写真の続き

<元旦の写真の続き> 

     

      ベランダの万両

 

     

       玄関の万年青



テレビで神社の鳥居が写っていて、厳かな気持ちになる。心が清められる。

      

<近くの松原神社へ初詣>

 近所の由緒ある神社、松原神社に初詣に行く。

 

元旦でこれはちょっと寂しい。もっと人が増えます様に。
かく言う私も今回が初めて。反省している。 

 

松原天満宮の由緒。

 

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2019.01.07 七草粥の日、そしてあしかのレオ君の書き初めに感心する。

 (1月7日)

テレビを見て、驚いた。
あしかのレオ君が、素晴しい書き初めを書いていた。
書く過程も見ていたが、点といい、線といい素晴しい。
私なんか、とてもとてもこんなに上手に書けない。
上手なだけでなく、味のある良い字で本当に感心した。 

 

(昼食)

バゲット(マスカルポーネチーズを塗って)、サラダ(グリーンリーフ、ミニトマト2種、胡瓜)、
エスプレッソコーヒー(ダブルで) 

 

(夕食)

七草粥、辛子明太子、胡瓜としらすの酢の物、蕪の漬け物、キャラブキと梅干し、
お屠蘇 

七草は百貨店で買って来た。以前は、七草のパックは高価だったが、今は安くなった。
以前は、山から採って来た物で、今は栽培されている物だろうと思う。
お粥を食べ過ぎて、気付いたらうたた寝していた。歳は取りたくないものです。^^

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2019.01.06 お正月大好き人間。

(1月4日)

(夕食)

牛肉ソテー(レタス、ミニトマト添え)、大根と豚肉の煮物、大根皮のキンピラ、

今年は、購入したおせちの海老等を早々に腐らせてしまって捨てた。
それで、おせちは無いけど、年末に紅白膾を作る時、取り置いていた皮で、キンピラ
を作ったり、もう1本買っていて曲がるぐらいシナッとなってしまった大根を煮る。
牛肉も、薄切り1枚だけ残っていたのをソテーする。
赤いお盆や迎春用の器を使っているが、正月4日目は、実は余り物活用料理だった。

 

(お茶)

コンビニのケーキと日本茶

 

(1月6日)

(昼食)

お雑煮(餅、かまぼこ、人参、三つ葉)、紅白膾、大根の皮のキンピラ

 

(夕食)

一見、豪華に見えるのは、この赤いおぼんのお陰。右はお屠蘇。
おせちは全部終了し、余り物料理だけのなんちゃって夕食だった。 
お正月好きとしては、まだしばらくこの雰囲気にこだわりたい。^^ 

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2019.01.05 正月五日は、さくらさん宅訪問

(1月5日)

摩耶さんと二人で、さくらさん宅を訪問した。

    

さくらさん宅のしめ縄が素晴しかった。
彼女は、この型が好きだからと言っていた。
こんなに良いものがあったのかと思った。 私はいつも困っていた。
売っている所を教えて貰ったので、私も来年からこれにしたい。 ホッとした。

<追記>
(※ 1/7妹から電話があり、「お姉さん、ブログ見たけど、このしめ縄どこでも
売っているよ。知らなかったの?びっくりしたわ。お姉さんは,100均が好きで,
敢えて使っているのかと思っていたわ。」とのこと。
(たしかに、あれはあれで、好きな物もあったが。でも、本来の形が良い。)
恥ずかしい。探さなくても、ホームセンター等でいくらでも売っているそうです。
日々益々馬鹿をさらけ出している私です。)


彼女は、最近家をリフォームしたので見て欲しいと言っていた。
この部分は元は小部屋だったが、息子さんが独立したので、仕切りを取って手前
の居間に繋げて大きな1部屋にしていた。

写真は増えた部分。上品な大きなリビングになっていて感心した。
台所や洗面所も、素晴しくリフォームされていて、何度も見に来て見に来て!と
言っていた気持ちがわかった。 

 

お寿司を作ってくれていた。とても美味しかった。 
何回も、お替わりした。 

 

生姜鍋も作ってくれていた。美味しくて暖まった。
お寿司の為の錦糸卵は、私がチタン鍋で作って持参した。 

 

    

おしゃれなお茶碗とお茶托。さすが彼女の趣味は素晴しい。
後ろは、摩耶さんお持たせの「スパークリングの清酒」、金箔入り。
美味しいので私は沢山飲んで、眠気が襲って来てあくびばかりしていた。 

美味しいコーヒーとフェナンシェ(私のお持たせ)を頂いた後、
お善哉が出た。お餅を2つ入れてもらった。美味しくてお替わりした。

夕方まで、おしゃべりしてお暇する。
夕食は一応自宅に準備していたが、全くお腹が空いておらず、気が付いたら
深夜になっていて、結局この日は夕食抜きとなった。
のどかな一日だった。
 

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2018.01.04 正月三日は、家で寛ぐ。

(1月3日)

家でゆっくりする。

(昼食)

お雑煮(かつおと昆布の出汁、餅2個、かまぼこ、三つ葉、柚子)、紅白膾(手作り)、
おせちなど盛り合わせ

 

昨日、妹宅で貰って来た和菓子を食べる。美味だった。

 

混ぜご飯、ご飯を炊いて、余り物の野菜を刻んで混ぜた。

 

(夕食)

おせち類(海老、数の子、鴨ロースなど)、茶碗蒸し、紅白膾、混ぜご飯、お屠蘇

茶碗蒸しは、妹宅よりのお土産(卵液や野菜がセットになっていて、蒸すだけ)、
これは便利。

お正月に茶碗蒸しは、ぴったりだ。美味しかった。
子供の頃、毎年お正月に叔父の家に行っていた。叔母の茶碗蒸しがとても美味しかった。 
私も、もっと日常に茶碗蒸しを作ろうと思った。 

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2018.01.03 正月二日はおよばれでした。

 
正月2日は,妹の家におよばれ。 

朝のテレビ。派手なこと!でもお正月らしいお目出度い色なので、パチリ!
しかし、ほんと、オリンピックは、もう来年のことになったと実感した。

 

妹に、お姉さんの紅白膾が食べたいので、作って来て欲しいと頼まれた。
しばらくおせちを作っていないので、味付け失敗。今回も少し塩辛かった。
以前は、酢の物には自信があって、お正月には5種類ぐらいの酢の物を作っていた。
(紅白膾、菊花かぶ、ごぼうのたたき、千枚漬け、などを作っていた。)
さくらさんは、今でも私の酢の物のことを言う。「菊花かぶ」が美味しかったねと
先日も言っていた。
そうだ、こんなことではいけない、別に過去形にしなくても良かったのだ。
又、時々紅白膾を作って感覚を取り戻さなければと思った。 
 
 

妹の家で。すごいご馳走。
 

豪華な三段重。お腹一杯頂いた。

 

ほのかちゃんが、人生ゲームをやろうやろう!と大騒ぎ、大好きらしい。
私は、初めてだったが、最初は私がボロ勝ちとなった。 

 

しまいには、こんなに大きな盤になって、彼女は益々大張り切り。
後半は、ほのかちゃんが大勝ちだった。 

 

ほのかちゃんが、紙を頂戴頂戴と言うので、何をするのかと思っていると、
帰りの車の中で、私の似顔絵を描いてくれた。
可愛い。髪の毛も、何故かトップがくるくるして可愛い。
半袖も描いて上げるねと言って、本当は大根足なのに、細く細く描いてくれた。
嬉しいな。 今日は大収穫だった。!!! (^0^)

 
 

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2019.01.01 あけましておめでとうございます。

 



あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

我が家の屠蘇セットです。
先日来た友人が、これはお雛様用ではないかと言っていましたが,お雛様用にしては、
少し大きすぎるのではないかと思います。
もちろん、大人用ではないけれど,飾り物として作ったのではないかなと思います。 

 

この場所には、染色家の作品の仏画や、昔頂いた羽子板等を飾っています。 

 

おせちは、近所の店で予約したものです。

器は、扇面のものを、並べました。
この中には,バザーで10円で買ったものもあります。
(右上の金色の器です。20年前、近所の料亭で半端になった物をバザーで見付けました。) 

 

     

玄関の国旗と〆縄と、万年青の鉢植えです。

 

     

玄関内の迎春の花です。
花を買いに行ったのが遅すぎて品切れで、ようやくこれを手に入れました。 



ふと気付いて、花瓶をチタンの二重タンブラーにしました。とても良い!
これからは、花瓶はこれにしようと決めました。

 

     

別の花屋で、ようやく百合1本と千両1本をゲット出来て良かった。
本当に綺麗!
来年からは、早々と予約しなくちゃと思いました。

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