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2023.08.16 生わかめは、やっぱり春のものだった。

生わかめは春のものと思っている私だったが、スーパーで、生わかめが今でも売られて
いるので、喜んで、思わず買ってしまった。

そして酢の物を作ったが、わかめが硬くてピラピラ。
春先のわかめの、柔らかい滑りがない。

それはそうでしょうね。
では、わかめの代わりに、何か見つけたいと思っている。

(夕食)
出汁巻き卵、わかめの酢の物、大根おろし、ご飯、味噌汁。

若い頃、出し巻き卵が得意で、玄人のように焼けることが、自慢だった私だったが、
長らく焼いていないうちに(今回、卵焼き器も買い替えたので、それもあり)、無茶
苦茶な出来上がりとなって、ショックを受けている。
又、あの頃のように、卵焼き名人に戻りたいと、一念発起している。
その内に、念願かなって、名人に戻ったと称して、又自慢タラタラしましても、どうか、
お許しくださいね。
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2023.08.15 無地の袋物の素晴らしい改良。

先日、電車に乗っていると、隣の席の女性が持っておられた手下げ袋に、目が止まった。

「あ、あれは、無印良品の製品で、私が、いつも優れものだと感心していたものだ。」
「その中では小さな、確か399円という、驚くような廉価で、麻の生地のしっかり
した生地の袋物で、私が日頃感心している商品だ。」
「その無地の袋に、少し手を加えて、おしゃれ用に素敵なアイテムに変化させている。」

私はその女性にお願いして、写真を撮らせていただいた。
手芸好きのベーヤンに知らせたかったので。



写真をベーヤンに送った。
これは、デコパージュという手法らしい。

先日、ベーヤン達に会った時、たまたま私はこの袋のことを話題にした。
こんなに素晴らしい麻の袋物が、たった399円とか、四百円台で売られていることへの
驚きを伝えた。
帰りは、時間がなかったので、また改めて、見に行こうということになっていた。

そこへこの出来事があったので、無印に行くなら着いて行って上げるよと彼女に伝える。
ムジラーでも何でもない私が、大きな口を叩いた。
すると、無印ならガーデンズが一番大きいと、ご主人が言ったそうなので、ではガー
デンズへGO!  ということになった。

ミエちゃんも、ガーデンズの近所なので、誘うというと、「だったらミエちゃんが行き
たがっていたピザ屋さんへ行こうよ」と。
ベーヤンしっかり覚えているよね。さすが!

にわかムジラーの3人で、ついでにピザを求めて、台風が去ってから行くことになった。



なお、麻の袋物には、他にも色々なサイズがある。 
これは、中ぐらいのサイズの袋で、私は、捨てるには惜しい紙袋類を入れている。
以前は紙製の袋の中にこれらを入れていたが、紙では、破れるので、多くは入れられ
なかった。
しかし、この麻の布袋は、厚手でしっかりしていて、いくらでも入る。
感動するほど押し込める。もっともっと入れても、伸縮性があるので入る。

マチはこの緑色以外に、オレンジ色のものもあるし、無地のものもある。とても綺麗。
いずれも400円台。
使い方次第で、重宝する優れものだと思う。



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2023.08.14 ご近所さんから薔薇の花束

インターホンが鳴ったので、出てみると、びっくり!

階下のHさんが元気そうに立っておられた。
今までは、杖をついて、ようやくの様子で来られていたが、今日は、少し違う。
まっすぐ、すっくと立っておられる。
何かに寄り掛かりたそうでもない。

お元気そうでびっくり。
聞くと、昨日初めてデイサービスに行ってきましたとのこと。
そこでの、体操が効果があったのか、我が家へ杖なしで歩いてこられて、元気な様子。

たった1日で、こんなに元気になられるのか?
私はびっくりした。




綺麗なお花をもらったからと言って、薔薇の花束を持ってきてくださった。
薔薇とは、又高価な!
花瓶に活ける。
薔薇は、やっぱり素敵!
あまりにも美しいので、見惚れています。



なお、その後、気づきましたが、上の丸くカットした写真も素敵ですが、元々の写真では
薔薇が背面に写っていて、この感じも幻想的で素敵だなと思ったので、こちらも追加で
UPします。
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2023.08.13 プルスケッタを忘れていた私。

私は、昔から、夏は胃痛に悩まされていて、特に、真夏は、夜中に胃が痛み、明け方
にもまた、胃が痛む毎日であった。
夏は、ほとんど食べられないので、毎年夏に3キロ痩せて、秋に戻っていた。
なぜこんなに胃が弱いのかと言うのが悩みだった。
兄弟にも、そんな人がいないのに、なぜ私だけ?と悩んでした。

ある時、胃腸専門の先生が言われた。
「あなたの7〜8年前の胃カメラのことをよく覚えています。あなたの胃は、素晴らしく
綺麗でした。あんなに良い胃の人は、夏には胃酸が出過ぎて逆流して、逆流性胃炎胃を
起こし易いのです。」と。
「え?良い胃?」あれほど悩んだ私の胃は、実は良い胃だったんだと分かった。

その後、逆流性胃炎を治したが、胃炎で苦しんだ頃、何も食べられなかった時に、
これだけは食べられた大好物のプルスケッタのことはすっかり忘れていた。

今は胃炎は治ったが、歳のせいで、食が細くなったので、たくさん食べられない。
こんな時、好物のプルケッタ君を思い出したとは。
良いことを思い出した。救われた。

「プルケッタの材料」は、トマト、バジル、モッツァレラチーズ、オリーブオイル、
バゲット。これだけ。
ということで、この夏の私のランチは、毎日、プルスケッタとなりました。







おかげで、この夏を乗り切れそうです。思い出して良かった。^^
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2023.08.12 夏の思い出. 2曲


中学校以来の友人から、暑中見舞いのハガキが届いた。

その中に「夏が来ると「奥池」のほとりで、高校生の頃、水絵さんに「夏の日の思い出」
の歌を教えてもらったことを思い出します。」とあった。
本人すっかり忘れていたが、別の友達からも、「真珠貝の歌」を教えて貰ったとか
「四葉のクローバー」を教えて貰ったとか、言われたことがあった。
え〜?私って、歌は歌えないと思っていたけど、昔は違ったのかと思った。

それで、ネットから、「夏の思い出」の曲を見つけて、携帯で彼女に送った。
ところが、携帯の種類が違っているらしく、メッセージが送れなかったので、今度は、
メールで送った。
彼女に「メール届いている?」ときいたら、届いていないらしい。
彼女の携帯は、「年配者向けの簡単携帯」なので、色々なことができないのだとか。
残念!彼女に是非聞いて欲しかったのに。

中田喜直:夏の思い出(江間章子) 

そこで、彼女に是非聞いて欲しいと思った私は、私のマッキントッシュで曲を鳴らして、
それを彼女
の携帯で、携帯越しに聞いてもらった。喜んでくれた。

これらの過程で、もう一つ、素敵な歌を見つけた。
それは「はいだしょうこ」さんと言う歌手が、ピアニストである彼女の父親の伴奏で歌う「夏の思い出」。

それも素晴らしいので、下にUPします。

はいだしょうこ「夏の思い出」- ピアニストの父・正機と親子共演!(フル) 〈公式〉

何が素晴らしいかと言えば、なんとも、微笑ましい親子関係!
ほのぼのとした情景で、それまでほとんど知らなかった、はいだしょうこさんと言う人
のファンになった私でした。

なお、友人の葉書にあった「奥の池」は、我が家があった山の裏にあった大きな池で、
湖水の美しさ、特に水底の白石の美しさが、今でも目に浮かぶ。
後年、そこへ見にゆきたいと言ったら、もう池はなく、マンションになってると教えて
貰った。

我が家が転居した後も、この友人は、結婚してその近辺で、長く住んでいたが、何十年も
経ったある時、「何か悲しいことがあった時は、あなたが住んでいた家の裏山に行って
泣いていたのよ。」と言った。じ〜んと来た。
それ以外にも、この友人とは、え?と思うような、大きな絆を感じる驚くような不思議
な出来事があったが、それはいつか書きたいと思う。





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2023.08.11  山の日


今日は、山の日。
朝一番に、忘れずに、きちんと国旗掲揚できて,気持ち良かった。
せっかくなので、私の好きな甲山の写真をブログに載せたかったが、いい写真が撮れ
なかった。

郵便局の振り込みが、2件あったので、ネットで、休日でもやっている郵便局を探して
行ったが(西宮郵便局)、振込は、できないとのことだった。

その次に、エビスタのカルチャーセンターへゆく。
検討しているものがあるので行くと、何と!10〜18日まで、お盆休みであった。
あちゃ〜!だった。

両方とも、空振りだった。
わざわざ、お盆に出かけるなんてね〜。私もバカよね。
特別暑い日で、汗が、道にぽとぽとと落ちた。

フードコートで一休みさせてもらって,帰ってきた。
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2023.08.10 KKさんとランチ。


久しぶりにKKさんランチをする。
芦屋のとんかつ武蔵で、定食を食べる。


その後、千鳥屋でお茶をする。
私は、冷やし汁粉、KKさんは、コーヒー。
色んなことを、おしゃべり。
ゆっくりとくつろいで、次に行く所も決まって、解散した。

帰りに、お隣のブティックで撮ってもらう。
ズボンの方は、数年前に、ここで買ったもの。
このセットは、私の大好きな組み合わせである。


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2023.08.09 パーマへゆく。血余のこと。

西明石にパーマに行く。

駅から美容院への道半ばにある喫茶店で、焼きうどんのランチを楽しみにしている私
であるが、今日は、臨時休業らしかったので、ランチはできなかった。


パーマ出来上がり。

ついでに前からも撮ってもらう。

一昨日に、明石の骨董店へ行ったが、女性店主が、今回も、「わ〜、髪が綺麗ですね。
真っ黒で、つやつやしていますね。」と言った。
私はびっくりして、「え〜?今回は、パーマをかける時が、予定より過ぎてしまって、
明後日行くのです。だから今は、一番汚い時なんですよ。」と言うと、「いえいえ、
真っ黒で、ツヤツヤしてるので、いつも羨ましく思っています。」と言われた。 
以前は、パーマの前などは、髪の色は悪く艶も無かったのに、この頃、そんなことを、
よく言ってもらえる様になった。
今日,美容院で聞くと、たしかに艶がありますよと言ってもらった。
先日など、先生と助手のサッちゃんに、天使の輪があると言ってもらったことがある。
「天使の輪」とは子供の髪に現れるものと思っていた私は、びっくり!嬉しかった。

20数年前、私がまだチタンに出会っていなかった時、頭のてっぺんは真っ白で、
顔の周りも白く、髪の毛は薄かった。
50代で、白髪染めをしていた。昔の白髪染めは、液体できつい匂いがした。
これは、最近、人に言われたので知った。「あの頃は、薄かったね」と。
え?そう思っていたの?知らなかった!

しかし、これからは、もっと黒くなるだう、もっと毛量が増えるだろう。
つまり、…と言う事は身体の中が、綺麗になると言うこと。
漢方では、髪のことを、「血余」という。
身体の中が、満ちていないと、髪は美しくはならない。





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2023、08、08 馬油を買いに、梅田へ行く。

きょうは、馬油の業者が、九州から来ているので、百貨店へ行った。

私は、馬油信奉者である。
怪我はもちろん、特に火傷は、水で冷やしたりせずに、いち早く、馬油を塗らねば
ならないと思っている。
馬油が、切れない様、いつも気をつけている。



今日は、大丸 梅田のヒロコーヒーへ行った。
ヒロコーヒーは、のばらさんとの思い出がたくさんある懐かしい店。
彼女の家の近くの、いくつかのヒロコーヒーや、西宮のヒロコーヒーなどなど、彼女は
いつも車で連れて行ってくれた。
町中のお店は、いずれも、古いお屋敷を改造したらしい、格調ある木造の店内で、素晴
らしく、ゆっくりとくつろげた。
今日のヒロコーヒーは、百貨店なので、木調の雰囲気ではないが、ここへも、のばらさん
とよく来た。
そんなことを思い出しながら、静かにコーヒーを飲んだ。


帰りに、近所のブティックの前を通ると、いつもの女性店長が、写真を撮ってあげ
ましょうかと言ってくれた。
これは、この店で買ったズボン。
紺色のトップスが多い私としては、合わせやすいと思っている。





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2023.08.07 オクラの炒り豆腐。

身体に良さそうな、料理を見つけた。

私の勝手に任命私設秘書のべーヤン(別名 タンパク質おばさんともいう)は、肉肉肉と、
連呼するが、私は、あまり耳を貸さない。
但し、べーやんがうるさく言ってくれたおかげで、毎朝、必ず目玉焼きを食べ、
夕食時には、必ず納豆を食べるようになった。
私は、牛肉は大好物だが、毎日食べるのは反対。
他の肉は、積極的に撮るほど好きではない。

私は、昔ながらの食材の豆腐などを使った料理を常用したい。
そんな私が見つけた動画が面白かった。


【最高の飯の友】オクラの炒り豆腐。


(真似をして作った。)

(夕食)オクラ炒り豆腐、トマトと山芋の酢の物、白菜漬物ツナ缶かけ、ご飯、納豆、
ビール

失敗は、「オクラ炒り豆腐」の最後に、溶き卵を入れるのを忘れたこと。
次回からは、卵を忘れずに、これからも時々作る料理としたい。


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2023.08.06 脚の為に健康器具を買う。



脚の力が、どんどん落ちている。

太ももの筋肉に、気持ちの悪いものを感じる日々が到来している。
この気持ち悪さには、覚えがある。

それは、長年勤めた職場を、自ら定年の1年前に、突然辞めて、全く未知のコンピュー
ターグラフィックの道へ歩み出した時、毎日徹夜で没頭していると、知らないうちに
朝になり、そのまま、続けて起きていて1日が48時間だったこともあった日々で、
そんな座りっきりの生活で脚の筋肉をすっかり落とした時、足の太ももが、なんとも
表現し難いような気持ちの悪さを覚えて、両手のゲンコツで、太ももを叩きながら、
「一体これは何なの?何なの?」と、べそをかいていた頃のことを思い出す。

あの時に、覚えのある気持ち悪さが、今回,又再び、太ももに現れている。
あの頃は、どの医者も、強烈な膝痛を訴えても、どこも悪くないとしか言わなかった。
そういう時代だった。
膝痛の原因が、太ももの筋肉の萎縮や衰えによるものだと言われるようになるには、
その後、5〜6年を待たねばならなかった。

その頃の、筋肉が減少する時の気持ちの悪い感じは、よく知っている。
でも最近は、以前のように、徹夜徹夜で明け方まで、パソコンの前に座ってはいないし、
脚の為に、意識して、よく出かけているのに、なぜ、太ももがこんなに重だるいので
あろうか?
と言っても、今は膝は痛くないし、太ももも、以前の、あの辛さとは桁違いに楽であるが。
いずれにしても、身体が、警告してくれていると思われる。
太ももが、気持ち悪いよ、もっと動いてよと言っている。

テレビを見ていると、そんな私のももに、ピッタリと思える健康器具があると思った。
見付けてから、もう何年も経ったが、ずっと気になっていた。この度これを買った。
うまく使えなくて、無駄になるのではないかという危惧はあったが、私の太ももが、
早くこれを買えと言った。
…などとと言ったら、オカルトめくが、正直、かって覚えのある、太ももの筋肉が落ちる
時のあの気持ち悪さは、理解しているので、今回これを購入した。
これを使いこなして、筋肉をつけて、スイスイと足取り軽く歩けるようになります様に!
と切に願っている。


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2023.08.05 梅田へ出かける。


今日は梅田へゆく。シャンプーとリンスが、全然無くなったので買いに行った。
しかし、品番などを覚えていなかったので、今日は諦めて帰る。
今日購入したものは、ほとんど野菜類だったので、重い重い。
足のために外出したが、フラフラしながら帰る。


帰りに、隣のブティックで、写真撮ってもらう。
実は、このズボンは、このブティックで買った。
今日が、お初。
パーマが全部取れて、頭がパンパカパーン。
来週、パーマに行く。


足のためとは言え、遠い梅田まで買い物に行って、重い食材を買って、現在はショッ
ピングカートは使っていない私が、リュックと重い手提げで、ふらつきながら、帰って
くるのは、大変だ。
でも、私は、脚が、言葉に出来ないほどの激痛の10年以上、動いて動いて治した。
そのやり方で頑張って動こうと思う。

しかし、以前より、気になっていた健康器具があったので、この度、それを購入した。
明日到着の予定。
また、いずれブログでご披露します。

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2023.08,04 鰻を食べにゆく。


今日は、かねての予定通り、ミエちゃんご推奨の鰻屋さん、芦屋の「三好」へ行く。
ベーヤンも、大阪のど田舎から(怒るかな?)、やってきた。



ミエちゃんが、鰻重を予約してくれていた。
ここは昔、仕出し屋だったところで、ミエちゃんのお宅は、何かの時、ここに注文して
いたそうである。

我が家も昔、父の法事の時、何回か、仕出し屋さんに頼んだことがあった。
お吸い物を、大きな金属の入れ物に入れて、熱々のまま運んできていた。
持ってきた塗りのお椀に、手際よくお吸い物を注いでいた。
その時の、鰹節の素晴らしい香りを思い出す。
そのお吸い物の美味しさは、私が今までで味わった中で、一番だった。今でも時々
思い出す。

鰻の後で、阪神芦屋の西村コーヒーでお茶をして、何と3時間ほどおしゃべりしていた。
店内はとても綺麗で、感じの良いインテリヤに癒されながら、長時間居たのに、写真を
撮るのをすっかり忘れていた。
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2023.08.03 カットに行く。


カットに行った。

本当は、パーマに行くサイクルは過ぎてしまって、今回は、間が開いてしまった。
明日、仲間と会うことになっているので、あまりにも汚かったら、はずかしいので、
慌てて、カットに行った。

明日は、芦屋の古くからある店に、鰻を食べにゆく。
しばらくぶりの、美食探検なので、嬉しい。
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2023.08.02 今から78年前の今日、起きたこと。

昨日、たまたま、このブログを見ていると、今から11年前に書いていた投稿を見つけ
ました。
それを読みながら、あらたな感慨を抱きました。
そして、これを、ぜひ、皆さんにも読んでいただきたいと思いました。
先の戦争で、多くの方々が、自分の国を守るために、尊い命を捧げられた。
私のこの投稿の内容は、たまたま78年前の今日、8月2日の出来事でした。
それは、終戦の直前に起こったことです。

少し長い投稿ですが、ぜひ、この文章を、読んでいただき、今の幸せな日本への想いを
新たにして頂きたいと思います。
では、下に原文のまま転載いたします。



「2012.08.17 67年目の終戦記念日に思うこと。
(宝塚予科練少年兵の墓にお参りして) 」
(以下原文のまま転載)
 
8月15日は、67年目の終戦記念日でした。
その終戦の前年、私の次兄は上海中学2年生で14歳でしたが、海軍予科練習生予科練)
を志願して、上海から日本に渡りました。
志願者は、兄ともう一人で、クラスから2名だったそうです。
終戦直前、兵員不足の為、上海、満州などの海外に住んでいた就学中の日本人少年達が
かき集められたと言うことです。

訓練中に四国から淡路へ船で移動中に米艦載機2機の機銃掃射を受け船は撃沈されました。
乗っていた111名の内82名が壮烈な戦死を遂げました。殆どが14~15才の少年兵でした。
阿那賀の村民は、戦死者のあまりにもあどけない幼い顔を見て絶句したと言います。
淡路島と四国の地元民の献身的な救助活動により、17名程が救助されました。
兄は、頭に銃弾を受け重傷を負いましたが、奇跡的に生き残ることができた一人です。
今から67年前、終戦直前の8月2日のことです。
(兄達が書いた記録を読みますと、何度も胸が塞がり読み続けることが出来なくなります。
私はこれを多くの方々に知って頂きたいと思いました。)

その後、昭和40年に、鳴門海峡を一望する土地を、淡路島出身の三洋電機故井植社長が
寄付され、82の墓碑ができました。
42年には、住友銀行堀田頭取がこの悲話を聞かれ、日本経済新聞紙上に下記の記事が
掲載されました。以下はその抜粋です。
「祖国への至情に燃え散華せし、空の勇者と言えども未だ、いたいけな十四、五歳の少年
であれば、母を恋う気持ちはひとしおであったと思う。聞けば母の名を絶叫しながら息を
引き取った少年も少なくなかったと言う。もしこの鎧崎墓地の片隅に少年たちをやさしく
見守る慈母観音の像があれば、英霊の眠りにいっそうの安らぎを与えてくれるであろう。」
と呼びかけられて、賛同された多くの知名人や財界人などが結束し、墓地のある岡の上に
「慈母観音像」が建立されました。
除幕式には、高松宮殿下、妃殿下にもご臨席頂きました。

同時に、有志で「慈母観音会」を結成運営し今日に至りました。
しかし、世話役をする人々が皆さん高齢になられ他界されたり出席もままならなくなられ、
若年だった兄たちが今迄頑張っておりましたが、その兄も今では80才を越え車で淡路迄
人様を乗せて通うのは心配になってきたので、残念ながら閉会を考えていると言いました。
そこで、今迄心ならずもお参りが出来ていなかった私は、今回こそお参りさせて頂こうと
思い、妹夫婦を誘って去る8月2日淡路島阿那賀の春日寺へお参りに行ってまいりました。

その後、兄から、やはり遺族の方々が今後も墓参されるので会を閉じることはできない、
組織立った活動はできなくとも会は残す必要があると聞きました。
しかし、これらの少年兵の場合は子孫がいないので、親兄弟が亡くなれば、弔う人も無く
なります。それを思うと本当に辛くなります。
これを読まれた若い方々が、こころの隅に入れて頂き、いつか、こちらを通られるときは、
思い出して墓参をして頂けるならば有難いと思いこれを書きました。

又、私の長兄(次兄より2つ年上)も同時期上海中学4年の時、陸軍に志願して日本に
向かいましたが、日本に着いたときには栄養失調となっていて(魚雷を避けるため大きく
迂回して航行)、丙種不合格となり、又すぐ終戦となり戦地には赴かず命を長らえました。


なお、第二次世界大戦による死者数は計310万人、内訳は軍人240万、民間人70万で、
軍人として闘った戦死者の6割の140万人の死因は何と、餓死だったということです。
自国を離れて他国で闘うのに充分な食料など、調達するのはいかに困難なことか。
ましてやジャングルや孤島では…。戦争はあまりにも過酷です。
未だに、113万人の遺骨が元戦地に残存しており、日本に戻って来ていないそうです。

その様な時代に生まれ、過酷な戦いに命を落とした人々にどうか思いを致して下さい。
飽食と平和に首まで浸かっている現代人には想像を絶する時代ですが、国の為に命を
落として行った多くの方々のことを忘れ去るとしたら、忘恩のきわみだと思います。
終戦から67年目の日を迎えて、もう一度記憶を新たにし、これからの若い人々に
鎮魂の思いを引き継いで行って頂きたいと切に願います。
 

淡路島と四国の間の海峡で、悲劇は起きました。(写真の橋の左は淡路島、右は四国です)



82の遺体を荼毘に付すことは火の手を見た敵機の襲撃を受ける危険がある為出来ず、
そのままこの丘の斜面に仮に埋葬されたそうです。
この丘の道は、雨が降れば油が沁み出して流れ、人々の涙を誘ったと、当時救助に
当った住民が語った言葉を、以前テレビで聞き衝撃を受けたことを思い出します。
その後、お骨になった時点で掘り出されて埋葬されたのです。


こいねがわくはこの淡路の地に予科練という童顔の防人ありて
壮烈なる戦死を遂げられたることをいつの世までも伝えられんことを 合掌


82基の墓碑があります。


元宝塚海軍航空隊予科練習生 鎧崎桜ヶ丘英霊墓地の由来


優しく見守って下さる慈母観音像に思いを託して。
____________________________________________________
<参考サイト>

母の「悔恨の海」
 
⬆️この記事は、URLを替え新たなページとなっておりましたので、リンクを張り替えました。
体験者の素晴しい得難い記録ですので,ぜひお読み下さい。

(鳴門市にお住まいだった母親の体験を通して、その娘さんが、予科練少年兵の事件を書いておられます。
 なお、「NHKはこの事件を取り上げて「悔恨の海」と題したドキュメンタリー番組を制作。徳島局で
 放送された後、反響の高さに全国放送された。」とのことです。)
 



(*2019.05.20 追記) 
<我が家の上海時代の写真。>

我が家の上海時代の写真。
先日兄妹で会った時、兄が持って来た。(戦時中のこととて、母はもんぺで全員戦時下の服装。)
姉の顔の一部が、白く剥がれていたので、 この部分直そうか?と言うと、兄弟はびっくりして
そんなことできるの?と聞くので、え〜?と私の方がびっくり。そんな簡単なこと。
「私はプロよ。」そして「Photoshopで修正出来るのよ。」と言っても、反応がなかった。
廻りに、誰一人私の仕事を分かってくれている人はいないのだと、ちょっと落胆した。
でも、自分が好きでやっている仕事、感謝以外に無いと思うので、愚痴言ったらいけない。
 
この写真を撮った時の経緯を、6才だった私は覚えている。
兄が上海中学校2年(14才)の時、予科練に志願すると言い出した。学級から2名 志願すると。(*注)
我が家は父が船乗りで常時家には居ないので、頼れる男性は居ない為、同郷で旅館を経営する
男性Hさんに、兄に思い留まる様に言って欲しいと母が頼み込み、家に来て貰って説得したが、
兄は、「僕が死なないと、日本は勝たない。」と言って、どうしても意志を曲げなかった。 
説得に失敗した母が、泣く泣く撮った最後となるかも知れなかった家族記念写真がこれだった。
(姉が何故ここに居るのか?姉は東京へ留学中だった筈。最後と思った母に呼び寄せられたと思う。)
私が、この時のことを言うと、兄は驚いて「◯◯ちゃん(私のこと)は良く覚えているね。」と
感心していた。兄は覚えていないそうで、色々よく覚えているねといつも言われている。
上海の生家の間取りも三階迄全部覚えていて、生家訪問前に兄が「覚えてる?」と聞くので見取り図
を書いたら全く同じで驚かれた。女性の方が、細かいことを覚えているものなのかも知れない。
兄が「僕が死なないと日本は勝たない。」と言った時の、兄の傍にあった彫りのある座敷机の
ことも妙に覚えていて、2011年に兄妹3人で上海に行った時も、生家でその机を探した程だった。
もちろん、後に住んだ中国人はそんな背の低い座敷机など使う筈も無く、見つかる訳も無かった。 
 (*注)
兄の学級から志願したもう一人の同級生Oさんは戦死し、 こちらに埋葬されています。↓
2012.08.17 67年目の終戦記念日に思うこと。(宝塚予科練少年兵の墓にお参りして)

Oさんの九十数才のお姉様が、毎年命日である8月2日に遠くから墓参されていました。
 




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