高島平発・文化的居場所「ミストラル」への夢

地域をファッション・音楽・お酒の“文化”の力で元気に!……地元に文化的な居場所作りを模索しています。

自分にとっての「12個の大きな石」とは?

2008年06月01日 13時15分19秒 | ●美意識・ファッション・デザイン私的考察
昨日は8時近くまで、会社におりました。
今日も少し様子を見に、顔を出しております。

これといって、そんなに手伝うもなく、お陰で昨日は本がたくさん読めました。

その中で日本のデザイン界の重鎮とも云うべき、松永真の本「松永真、デザインの話。+11」に、とても含蓄のある話があったので、その一節をそのまま書いてみます。
(松永真の名前を知らなくても、どなたもポスターやロゴマーク、商品パッケージ等で、この方が手掛けたデザインをご存知かと思います。)

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「12個の大きな石」

ある日、チベットのラマ僧が若い修行僧の集まりで話しをしていた。

ラマ僧は集まっている修行僧たちの前に一ガロンほどの広口の壷を置き、そこに一ダースほどのこぶし大の石をひとつひとつ入れていった。

やがて石が壷の入り口のところまで一杯になると、ラマ僧が修行僧たちに尋ねる。
『この壷は一杯でしょうか?』 修行僧たちは皆『はい』と答えた。

だがラマ僧は次にバケツ一杯もの砂利を取り出し、その壷へザーッとあけて振ると、大きな石の隙間にその砂利が入り込んだ。

それからラマ僧が再び尋ねた。『この壷は一杯でしょうか?』
『たぶん違います』修行僧も、さすがに何かに気付いたようだ。

『よろしい!』ラマ僧はそう答えると、次にバケツ一杯の砂を取り出した。
その砂を壷にあけると、砂か石と砂利との隙間へ流れ込んでいく。

そして再び『この壷は一杯でしょうか?』と問う。
『いいえ』修行僧たちは叫んだ。またもや『よろしい』
ラマ僧はそう言うと次に水差しを取り出し、壷へと水を注ぐ。

そして水が溢れそうになったとき
『この例えの意味するところ、一体なんでしょうか?』と問いかけた。

ひとりの若い修行僧が手を挙げて答える。
『自分の時間表がどれだけ詰まっていようが、その気になれば、いつでもそれ以上のものを組み込めるということです』

『いいえ』ラマ僧は首を横に振った。

『大きな石は先に入れなければ、後から入れようと思っても入らなくなってしまいます。
あなたの人生にとって大きな石とはなんでしょうか?
子供たち。あなたの愛する人たち。あなたの教養。あなたの夢。大義名分。他人の教育指導。好きなことをすること。自分のための時間。あなたの健康。あなたの大切な伴侶。自分自身と他人への敬意。そして、地球への思いやり。
こうした“大きな石”を、まず最初に入れることを覚えておきなさい。さもなければ、それらを入れることができなくなってしまうのですから。
もしあなたが砂利や砂のように些細なことに汗するならば、あなたを悩ませる、大した問題ではない、つまらないことに人生を費やしてしまうでしょう。
そしてあなたは大きく、大切な事柄に向き合うべき本質の時間を持てなくなってしまいます。
ですから今夜・・・いや、明朝にもこの話を思い出し、自分自身に問うてみて下さい。
自分にとっての大きな石とは何でしょうか?そしてそれをあなたの壷に、最初に入れることです』

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私の大きな石の中に、多分、“好奇心”とか、“美的感覚”、“音楽”が入っていて、今の自分があるように思えます。

お話しをしていて楽しい人は、自分とは違っていても、たくさん大きな石を持っている人のような気がします。
みなさんの“大きな石”はなんでしょうか?

今日は気持ちいい天気なので仕事は止めて、これから何処かに寄り道して帰ろうと思います。
こんな休日出勤も悪くありません。

コメント
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