古伊万里を中心に集めていますと、ときに骨董に興味のない身内から質問がきます。(笑)
弟 『こういうセトモノばかり集めて、どこが面白いの?』
私 『それは、古伊万里には、江戸時代の時代霊という霊魂が、宿っているんだよ。』
弟 『え!!!時代霊・・・!。あははは・・・、そんなのあるの?』
私 『あるに決まっているよ。大掃除のときに、畳の下から、古新聞が出てくることがあるだろう。
それに、新車発売のカローラや、セドリックの広告写真を見たことがあるだろうか。
当時は、最新型に見えたそれらの新車が、いまみるとなんとレトロで、時代遅れに見えることか。』
それに、新車発売のカローラや、セドリックの広告写真を見たことがあるだろうか。
当時は、最新型に見えたそれらの新車が、いまみるとなんとレトロで、時代遅れに見えることか。』
弟 『それが・・・?』
私 『それこそが、時代霊のシワザだよ。それは、その時代を支配している人知を超えた大きなエネルギーの
支配下に人間の意識や魂が、支配されている証拠だよ。』
支配下に人間の意識や魂が、支配されている証拠だよ。』
弟 『ふ~む。なるホド・・・』
でも、この話し、古伊万里の魅力を説明したことになっているのだろうか・・?(汗)(笑)
江戸後期も幕末、天保期くらいの作品と思われます。
直径30センチの尺皿です。
直径30センチの尺皿です。
随分と丁寧に絵柄が描かれていて、当時は上手のものだったんではないでしょうか。
いま見ると、これでもか、というくらいあざとい絵付けに見えますが、
よいモノを作りたいという当時の陶工の純粋な気持ちは、素直に伝わってくるような気がします。
いま見ると、これでもか、というくらいあざとい絵付けに見えますが、
よいモノを作りたいという当時の陶工の純粋な気持ちは、素直に伝わってくるような気がします。
後期ものとしては、珍しい皿の裏にツヤのない鉄釉が、びっしりと塗ってある作品です。
清朝の十錦手の影響があるような気がします。
清朝の十錦手の影響があるような気がします。
皿うらの銘も変わっています。
ちょっと、中期の伊万里を彷彿とさせるかもしれません。
ちょっと、中期の伊万里を彷彿とさせるかもしれません。