だから言っておく。
自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、神がそれ以上あなた方を思わないことがあるであろうか。
以上、マタイ伝より。
クリスマスって、イエス様の誕生日なんですね。
わたしの幼稚園はお寺でしたから、4月8日には、お釈迦様に甘茶をかけました。
小学校は、キリスト系でしたから、土曜日のバイブルの時間には、
賛美歌を歌い、学院長が聖書を読んで聞かせてくださいました。
私は、子供の頃どうも聖書に書かれていることは、合点がいきませんでした。
しかし、この歳になってみると、この上の聖書の言葉が好きになりました。
けっきょくイエスは、何が言いたかったといえば・・
『足る事を知れ』といいたかったんじゃないでしょうか。?
孔子は、『衣食住足りて礼節を知る』といいましたが、いまの世相そうはならない
現実がありますよね。
クリスマスをきっかけに、
わたくし自身、自分自身の人生を少し見つめなおしてみたいと思いました。