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長谷川伸 生誕の地について!

2019年02月26日 | ここで一服・水元正介
先日、関内駅から大岡川あたりまで散歩していたら、橋のたもとに長谷川伸生誕の地の碑がありました。

碑文を記したのは、平岡正明さんです。末尾に「1997年4月6日、桜吹雪の大岡川河畔にて」と書いてありました。なかなかの名文なのでスマホでOCRをかけてみました(本文は写真の碑文とは異なります)。

《長谷川伸の碑》
新コ(長谷川伸さんの愛称)は明治17年、この土地、日の出町の大岡川にかかる黄金橋のたもとで生まれた。

「駿河屋」
新コはこの地で関八州の渡り職人衆から渡世の礼儀を学び、生家はヨコハマ市街地建設のため野州から移住してきた請負業である。
また神奈川県自由民権運動の魁、相州真土村騒動の指導者たちから、民衆の側に立って闘う男の姿を学んだ。
11歳時に母と生別し、面影を慕って、のち「瞼の母」を生んだ。「駿河屋」の没落によって小学校低学年で学業をあきらめ、三菱ドッグ(現みなとみらい21)に波止場小僧として働きに出た。外国人相手の土産物屋に飾られた浮世絵と、芝居小屋の看板を美術館とし、
新聞の振り仮名で漢字の勉強をした。幼くして舐めた辛酸と、海に面して国際性を、川に沿って民族性を、浜風が丘にあたって人情の露にかわる港町が新コの人間性を磨き、長じて「しがねえ男女の情愛」をいつくしむ真の大衆作家にした。
また治外法権の居留地のちゃぶ屋に、六連発拳銃を懐に乗りこみ、らしゃめんを開放するわ市井1箇の使者でもあった。
昭和11年、「沓掛時次郎」の出現をもって、演劇界は黙阿弥の時代から長谷川伸の時代にかわる。「1本刀土俵入り」「雪の渡り鳥」「舶来巾着切」等が生まれる。長谷川伸の義理人情世界は画部劇「シェーン」にも、日活渡り鳥シリーズにも、近くはニューヨークインディ派作家に 影響しつづける国際艶歌である。大道芸の町野毛は、文藝において長谷川伸を師表とする。
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18歳の弾き語り「ななせ」さん!

2019年02月26日 | ここで一服・水元正介
2月22日はニャンニャンニャンの語呂合わせで、「猫の日」だったそうです。

その日の夜、横浜駅西口の路上ライブは、47都道府県ツアー中の18歳弾き語り「ななせ」さんでした。とても可愛いかったので、1枚撮らせてもらいました。
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