5月11日、東洋大校友会の大先輩に誘われ、横浜情報文化センター6階ホールで、神奈川県建築士協会横浜支部開催の講演会に出かけてきました。
音楽堂、聖堂、美術館などの設計はもちろん、自然災害に見舞われた世界各地に出向き、紙管を用いた避難施設の設計施工で知られる建築家・坂茂(ばん しげる)さんの肉声を聴け、想定以上の感動と刺激を受けました。
「建築家は歴史的に、その時々の特権階級から依頼された仕事をしてきた」という、冒頭からの論調に背筋をピーンとさせられ、息つく暇ない言葉に圧倒されました。私なりに、記憶に残った言葉をご紹介させていただきます。
【コンクリート(丹下健三さんの赤坂プリンスホテル)は30年も経たずに(1983.3開業〜2011.6)解体され、私たちが紙管を用いて建てた仮設の施設は、かえって長く使われている】
【あらかじめ、解体する時のことを考慮して設計することもある】
【バブル時にみられた公共施設(箱物)批判は、なぜ巻き起こったのかといえば、周辺住民のに使われない、愛されていなかったからです】
【いい建築を作るには、たくさんの建築物を見て歩くこと。世界中を旅して歩くことにより、その土地の条件を読み取る訓練になる】
【問題を解決することがデザインの本質である】
【建築士になったのは、母が洋裁店をしており、新しい住み込みの縫い子が来ると、自宅を改装していました。その時、大工さんの仕事に憧れ、大工さんになろうと思ったが、結果的に建築家になった】