世界の目が、アメリカ大統領選挙に「全集中の呼吸」で注目していた11月3日のことですが、最近読んでいる故郷の郷土史研究家・金沢春友さんについて、政治家としての足跡と、重なる同時代を生きた私の父との関連を考えてみました。

金沢春友さんは、1956年7月15日に常豊村村会議員4期、同村助役、54歳から常豊村の村長、74歳で塙町の町長となり、当時紛糾していた合併問題(昭和の大合併)の対処に当たったそうです。
しかし、そのもつれから1958年にはリコール運動が起きました(政敵も多かったのですね)。幸いに、リコールは成立しなかったのですが、1960年の福島県東白川郡塙町の町長選挙では、対立候補として立った近藤永昌(お孫さんは私=宮崎の同級生です)に敗れて落選します。
この時、私は小学生になったばかりで、当時の町長選挙の記憶はありませんが、地域的に近藤永昌さん側の支持者であったと推定できます。つまり、金沢春友さんとは疎遠、かつ父は良く思っていなかったようです。
同(1960)年7月14日付で、金沢春友さんは町長職を離れますが、次(1964年)の町長選挙では81歳のご年齢で返り咲きを果たし、同年7月15日から再び町長を務めました。1968年の選挙でも再選をめざしますが、金沢春友さんの下で助役をしていた鈴木泰芳さんに敗れ、退任されました。
著書を読む限り、円満・任期満了としか記述されていませんが、反発する町民も多い中でも地域政治への関心が旺盛だったのです。そして、金沢春友さんの経歴には「敗北宣言」がなく、死の直前まで67冊目の著作(すべて自費出版)を出版するなど、天命に従うごとく生きられたのですね。