先日、アーネスト・サトウさんの『一外交官の見た明治維新(上)』を読み終え、二つの記事と写真を投稿しましたが、本日は御殿山と香煎について補足させていただきます。▼印以下は私のコメントです。
P78 御殿山-—その莫大な土塊が、品川から隅田川に通ずる和船の水路の外側に台場を築くために運び去られていた。
▼へーっ!隅田川の堤が御殿山の土で盛られたなんて、本当に知りませんでした。今度、御殿山あたりを散歩してみようと思いました。
P284 峠にある一軒の茶店に休むと、小娘が、麦芽からとったらしい粉でまぶした柔らかい餅を出してくれた。この娘は15歳で、一人前の女になりかけているのだが、身の丈は4フィート(120cm)もなかった。
▼「麦芽からとったらしい粉」とは、きな粉が大豆を加工したもののように、香煎(こうせん)と呼ばれる「麦こがし」なのですね。香煎は聞き覚えがありましたが、漢字は初めて知りました。餅をついて母が香煎を作り、砂糖をまぶして6人家族みんなで食べたことを思い出しました。
写真は、先日の夕食(マグロ中落ち丼、もつ煮込み)と晩酌(黒霧島紙パック1800mlの麦茶割り)で食べたお惣菜(茹でとうもろこし、白菜ときゅうりの浅漬け、ネギチャーシュー)です。