前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

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住民の暮らしをのせて走る 「えちぜん鉄道」

2009年10月13日 | Weblog
    昨日のしんぶん「赤旗」に、わたしが書いた記事が載りました。赤旗の依頼で、えちぜん鉄道について書いたものです
福井民主新聞にも載せましたが、「なかなか面白かった」「ひきつづき書いてほしい」の声が何人かから寄せられました。
    取材にご協力いただいた、えちぜん鉄道の島取締役や佐々木さん、光陽生協クリニックの木村先生、ありがとうございました。

    以下、赤旗では割愛された部分もふくめた全文です。


       ★

   秋の一日。どこまで乗っても、何回乗り降りしても八百円という一日フリー切符(休祝日のみ発行)を買って、えちぜん鉄道福井駅から三国へ向かいました。

       
「評判のアテンダント」
   途中、福井口駅から評判の女性アテンダントが乗車。車内が華やぎます。「こんにちは」のあいさつでこちらの気分も晴れやかに。
こどもには「どこいくの」「楽しみやねー」などと声をかけたり、サービスにカードを渡したり。親も嬉しそうです。観光客からの「東尋坊へ行くには」などの質問にもてきぱきと答えていきます。発車間際の電車に走ってくるお年寄り。さっと降りて、迎えにいき、手をとって乗車をサポートする姿には感動します。
       

「電車にゆられて海に香る文学の町へ、恐竜のふるさとへ」
    三国駅で降りて、街中散歩に。三国駅からは観光地の東尋坊へのバスもでていますし、日本海クルージングもあります。
歩いて五分。昔、船の出入りを決めるために河口の天気模様を確かめた高台、「日和山」に着きます。「出船入船 風みる所は 雨が降っても日和山」と三国節にも謡われてきました。ここに建つ禅寺は、江戸時代には句会が催された所で、境内には歌碑もみられます。高見順の生家もすぐ近くです。
街のなかには「三国詩歌文学館」という案内板がところどころに設置されており、文学散歩を楽しめます。家々にも詩歌が掲示されていたりして「文学の町」を満喫しました。

   勝山永平寺線の終着駅・勝山駅からは、子供たちに大人気・日本で唯一の恐竜専門の博物館(福井県立恐竜博物館)へバスが運行されています。鉄道ファンの垂涎の的は勝山駅に留置されている「テキ6形6号」。1920(大正9)年に堺市の梅鉢鉄工所で製造され、動く電気機関車では国内最古とされています。勝山駅構内には、私が九歳の時(四十一年前)に廃線となった故郷を走っていた京福電気鉄道丸岡線の資料展示もあり、懐かしく思い出しました。

    三年前に福井市内から坂井市三国町に引っ越した光陽生協クリニック・小児科アレルギー科医師の木村牧子さん(六十九)は、電車を通勤で利用します。
「アテンダントが、困っているお年寄りを助けている姿はいいですね。電車では手紙も二、三通書けますし、本も読めます。すごくいい」と電車通勤を楽しんでいます。

  

「住民の力で復活し、支えている第三セクター」 
    えちぜん鉄道の前身は京福電鉄。二度にわたる正面衝突事故をおこした京福電鉄にたいして、国土交通省は01年7月、初めての「安全確保に関する事業改善命令」を出し、運行停止に。赤字だった京福電鉄は福井県内3路線の経営を投げ出しました。
   「廃線、バス転換」の流れが一気に強まる中、住民運動、行政、住民運動、日本共産党などが力をあわせて乗り越え、第三セクター「えちぜん鉄道」として運行がはじまり丸六年。 当時、日本共産党もシンポジュウムの開催、県議会での私の論戦をはじめ、沿線自治体の地方議員が市町村長と懇談し、電車存続のため、先頭にたちました。

えちぜん鉄道の島洋・取締役兼計画部長は語ります
 「住民、行政、事業者が一体でがんばっています。料金一割引のサポーターズクラブは三千名。うち、料金二割引になる六十五歳以上のゴールド会員は八百名です。アテンダントは十一人。乗るのに不自由な方を手助け。心のふれあいを大切にし、他の追随を許しません。国の交通政策もがんばっている地方の鉄道・電車にもっと力をいれてほしい。」
 アテンダントの笑顔につつまれ、住民の暮らしをのせて、えちぜん鉄道は走りつづけます。(了)