平和新聞に亡くなられた畑田重夫さんの追悼記事。内藤功弁護士が書かれています。
20代の時に福井市中央公園にあった県民会館で講演をお聞きし、お身体が丈夫でなかったのを克服し、凄いバイタリティーだなあ、と当時感心しました。
畑田さんは1943年の学徒出陣では、関西の出陣学徒を代表して決意表明。しかし、陸軍部隊入隊後に病気で入院。その部隊は輸送船で南方戦線へ移動中にアメリカ軍の攻撃で全員戦死。唯一の部隊生き残りとしてたたかった人生、と書かれています。ふたたび若者を戦場におくらない、と。
私の日本共産党入党の動機も戦争反対貫いた党であることでした。伯父が戦死していますので。
岸田政権の大軍拡大増税方針。なんとしても畑田さんのご遺志を受け継ぎ、ふたたび日本人が戦死することがないように頑張りたい。合掌。