物部の森

日常感じたこと、趣味のこと、仕事のこと・・・等々
日記風に書いてます。

いつ食べれんねん!?ボタニカレー

2015年08月31日 | Weblog
わし、ここのカレー食べんのを励みに土曜日自主出勤しとんねんっ!
ビジネス街だけに休みの日はいけるやろう思て、昼に行ったら、もう売り切れの貼り紙が出てる。店の前は長蛇の列。
いつなったら食えんねんっ!?
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Cさんの訃報とガンジーの言葉

2015年08月30日 | Weblog
同僚だったCさんの訃報が入る。ずっと会社を休んで闘病生活を送ってきたが残念ながらカムバックが叶わなかった。
物故者連絡では「家族葬なので参列辞退」となっていたが、ご主人が「来ていただいても結構です」とおっしゃっているとの連絡が回ってきたので、通夜に参列した。
45歳。若すぎる。
ガンジーの言葉を思い出す。
「明日死ぬつもりで生きなさい。永遠に生きるつもりで学びなさい。」
己を顧みる。その通りにはできていない。
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ビアホール「キラビア」

2015年08月29日 | Weblog
高校のクラブのメンバーで飲み会。みんなが集まりやすい場所が良いだろうと、幹事のM君が、高島屋の8階テラスにある「キラビア」というビアホールを予約してくれた。ここは知人が以前に行って良かったという話を聞き、一度行きたいと思っていた所である。
入口でチケットを買って中へ案内されると、席は比較的ゆったりとしている。イルミネーションがおしゃれだ。すぐ後ろにはスイスホテルがそびえている。
料理は、トムヤムクン、エスニックカレー、シンガポールチキンライス、タンドリーチキンなどエスニックが中心のビュッフェ形式。ビールサーバーも全自動だ。お皿やジョッキはお替りの度に交換できて、非常に清潔感がある。こういう所なので、若い人たち特に女性が多い。ビアホールも様変わりだ。暑さのピークの時は、夜になっても屋外で飲むのはかなわないが、朝晩少し涼しくなってきているこの時期はちょうどよい。
結局食事は3回お替わりし、ビール3杯・カクテル1杯を飲んだ。これで3800円。コスパも悪くない。
開催は9月いっぱいまで。もう一回、行けるかな。
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Iさん入籍お祝い会

2015年08月28日 | Weblog
この度入籍したIさんのお祝い会。Iさんの前所属、すなわち堺の事業所で一緒だったメンバーが裏なんばのイタリアン「ペスカ」に集まる。
私はIさんとはチームでは重なっていなかったのだが、採用担当の時に彼女をリクルートした関係で呼んでもらえた。
幹事は現マネジャーのU君。上司自ら場所のセッティング、お祝いプレゼント準備、当日の司会と大忙しだ。
私は彼女と一番古い関係ということもあり?乾杯の発声をした。その後の宴会は現役と転出メンバーのさながら同窓会的な意味合いもあり大変盛り上がった。
最後は彼女の顔をかたどったお祝いケーキをみんなで食べ、今後料理を頑張れという応援メッセージを込めた和食器をプレゼント。
若手社員の幸せな状況を見てると、こちらも嬉しくなる。Iちゃんおめでとう。
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堂島読書会発足

2015年08月27日 | Weblog
この度、SBJの大阪版として「堂島読書会」が発足した。
F先生が大阪で読書に関するセミナーをされた際、SBJを紹介したところ、複数の受講者から「大阪でもやって下さい」という要望があった。そこで先生から、SBJメンバーで現在大阪在住の、Oさん、Iさん、私に「手伝ってくれないか」との依頼があり、3人が快諾、7月に会が発足した。
今週8月24日には記念すべき第1回が開催され、16人が参加、読書会もその後の懇親会も大変盛り上った。10月28日には第2回が開催される予定である。
私が4月に大阪へ戻る時、F先生から「ぜひ大阪でも読書会を開催して下さい」と言われた。漠然と「そういうことができればいいなあ」と思っていた。でもなかなか実行に移すことができてないうちに、先生から「堂島読書会」の構想を紹介されると、アッと言う間に実現した。先生の企画力と実行力に敬服だ。やはり「思う」と「やる」との間には大きな隔たりがある。私はまだまだだな。大いに勉強になった。
SBJのような素晴らしい集まりにしていきたいと思っている。
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Kさんと再会(ハルカスから粉モンへ)

2015年08月26日 | Weblog
東京の友人、デザイナーのKさんが、久しぶりに故郷の泉佐野に帰ってくるということで会う。場所は天王寺、あべのハルカスに上りたいと言う。実は私も展望台は初めてだ。
待ち時間はほとんどなし。すぐに展望台へ行けた。地上300m、素晴らしい眺めだ。大阪平野は関東平野と違って山に囲まれているので、街並みと山が上手く融合した風景になる。東方向は、私の生まれ育った地域。それがはるか眼下に広がっている。


家も分かる。


母校(中学・高校)もはっきり見える。


あまりにも居心地が良いので、テラスでビールを飲みながら、夕暮れから夜までいた。


下りてからは、たこ焼きの「やまちゃん」とお好み焼きの「京ちゃばな」をハシゴ。
京ちゃばな名物トマトお好み焼き。


大阪の粉モンのレベルの高さを改めて実感しながら、あれこれしゃべる。
束の間の再会だが密度の濃い時間だった。
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大阪プロ・アマ交流戦 真夏のトーナメント2015

2015年08月25日 | Weblog
「大阪プロ・アマ交流戦 真夏のトーナメント2015」が先週末開催された。
オリックス・バファローズ(ファーム)
 大阪ガス株式会社 硬式野球部
 日本生命保険相互会社 野球部
 関西六大学野球連盟所属 大阪商業大学・大阪経済大学
 阪神大学野球連盟所属  大阪体育大学
合計6チームが参加し、プロとアマの垣根を超え「大阪ナンバーワン」を決めるトーナメント大会。今回は初開催である。
結果は、決勝で日本生命がオリックスを4対3で破り見事優勝。アマが2軍とはいえプロを倒したのである。
昔からサッカーのように野球の天皇杯があれば面白いのにと思っている。プロ野球から独立リーグ、社会人野球、大学野球、高校野球が参加するトーナメント。NPBにとってはプレッシャーだが、野球ファンは喜ぶはずだ。実現しないかなあ。
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新国立競技場!???

2015年08月24日 | Weblog
オレのマウス。
どことなく新国立競技場を彷彿とさせる。
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T商業軽音楽部 全国大会奨励賞

2015年08月23日 | Weblog
先日指導したT商業の軽音楽部が、全国大会本番で奨励賞(4位相当)を受賞した。おめでとう!!
前日のリハーサル終了後、顧問のY君から「全30組の中でひいき目にみてもうちは真ん中くらいや」とメールがあった。それが本番ではいつも以上の力が出せたのか、もともとY君の見立てが謙虚すぎたのか、見事上位入賞。
受賞後のメールには、「M(私)の高い講評も良かったけど、衣装の話がありがたかった」と書いてあった。なるほど、衣装のアドバイスも役に立ったのだ。
先日の練習見学で、Y君が出かけていて、私一人でバンドメンバーにアドバイスしていた中でこんなやりとりがあった。
「ところで本番はどんなステージ衣装着るんですか?」と私が尋ねると、
「楽器組は浴衣、ボーカル組は法被にしようと思ってます」とメンバーが答える。
「その衣装を着て練習した?」
「いえ、Amazonで品物は決めてるんですけど、まだ買ってません」
「それやったら、できるだけ早く買って、実際にそれを着て練習した方がええと思いますよ」
その時の彼女たちの服装は、ブラウスにスカートだったり、Tシャツに短パンだったりと思い思いの軽装だった。
「僕も楽曲的には和装がぴったりやと思う。今は軽装で自由に動けてるよね。でも実際に和装を着て演奏したり踊って歌ったりすると、だいぶ感覚が違うはず。裾にマイクのコードがかかったり、サイズが大きかったりするとはだけるのが気になったり。そういうことも想定して早目に本番の衣装で練習した方がええよ」
これには彼女たちも納得して、「Y先生と相談してすぐに買います!」ということになった。
事前準備の密度を上げるには、できる限り本番に近い状況で行うことだ。スポーツなら練習試合、受験なら模擬試験、プレゼンテーションなら本番と同じ機材を使ってのリハーサルが一番だ。会場が遠くないのなら、下見をするなどして、会場自体だけでなく周りの環境も確認しておく。そんな話をした。
いずれにせよ、このアドバイスも少しはお役に立てたようだ。Y君からも感謝してもらえたし(旧友から面と向かって感謝を述べられると面はゆいが…)、良かった良かった。
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船場ROJINO「ぐるり」

2015年08月22日 | Weblog
R君とS君と帰りの一杯飲み。S君にはこの度、従来業務に加え、組合活動でも無理をお願いすることになり、労いかつ動機付けの意味で急きょ「行こうか」という話になった。場所は船場ROJINOの「ぐるり」という和牛専門店。カウンター席に3人で並ぶ。一番安いステーキのコースだけ決めて、あとはアラカルトにする。感じの良い大将が対応してくれた。肉の炙り寿司とメインのステーキの写真を載せているが、どれも美味い。ご飯ものはアラカルトで玉子かけご飯を注文。その他、もつのアヒージョも絶品だった。上はテーブルが二つでマックス12名くらいのキャパらしい。小グループの宴会にも使いたい。



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インターンシップ生たちと

2015年08月21日 | Weblog
職場にインターンシップ生が来ている。人事時代、インターンシップの事務局の立場だったが、所属で受け入れるのは初めてだ。技術部門なので、受入コースは多岐に渡り、人数も多い。指導は若手社員がする。
初日はオリエンテーションが中心で、二日目が終わった後、管理職も揃って懇親会を行った。場所は心斎橋の「虎瀧(こたつ)」という焼肉屋。
適当に場所を変わりながら、半分弱のメンバーと個別に話す。ちょうど私と高校・大学・会社と同級同期であるAマネジャーが横に並んだ時だ。対面のインターン生と3人で話をしていた。何かスポーツをやっているかみたいな話になった。彼が「高校の時にフィールドホッケーをやってました」と答える。フィールドホッケーは私の母校を含め大阪に5校しかない。もしかしてと思ったら、案の定、わが母校出身だった。「オレらもT高やで!」とA君と私。「ほんまですかあ~~!」と彼も驚いていた。「もう君、うち内定でええわ(爆)」。この辺がテキトーなT高出身。
いやいや、色んな出会いがあるものだ。
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ヘアワックスの探求

2015年08月20日 | Weblog
30代の半ばから頭髪が薄くなってきた。その頃から、ヘアスタイルは短めに切って真ん中をふわっと盛り上げるソフトモヒカンが中心。髪の毛を立たせないといけないので、リキッドやヘアワックスは固めるハードタイプだ。
ずっと、「ギャツビー ムービングラバー」の一番固いピンクを愛用している。
長男は少し長めの髪だが、ボサっと広がるのを抑えるため、私と同じのを使っていた。


その彼が、最近は「デューサー」を使い始めた。私もちょっと試させてもらう。
5番が一番固いと言われている。確かによく固まる、というか髪の毛に粘りが出る。


他も色々と研究してみようと、ネットで調べてみると「アリミノ スパイスシスターズ」というのが固まるらしい。
早速ドラッグストアで買ってきた。
息子と二人で使ってみる。使用感は上二つとそんなに変わらない。しかも35gで1200円とかなり高額だ。リピートはないな。


まだまだ他に良さそうな商品がある。色々と研究してみよう。今年の夏休みの自由研究テーマは「ヘアワックス」である。
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墓参りからの「あじ家」からの「味よし」

2015年08月19日 | Weblog
お盆休み最後の日は、家内とお墓参り。
まずは太子町にあるうちの墓へ。


次に六万寺にある義父の墓へ移動するのだが、電車だと行きにくい。
初めてタクシーを使ってみた。外環を北上するルートで約5500円。やっぱり高いな。次回、墓をハシゴするときはレンタカーを借りようという結論に。


両方のお参りが済んだ後は、瓢箪山駅の近くの「あじ家」というラーメン屋で遅い昼飯。ネットで調べたら評価が高い店だった。妻は随分気に入ったようだ。


夜は東京旅行から帰って来た長男も一緒に「味よし」へ。4月に大将が亡くなったのを知らずお参りできてなかったので、お盆のお供えを持っていく。写真は生ガキ。


美味しかった。さ、明日から気持ちを切り替えてお仕事だ。
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安倍首相70年談話と天皇陛下のお言葉

2015年08月18日 | Weblog
安倍首相の戦後70年談話。良く言えば、「各所への配慮を踏まえたバランスの良い仕上がり」。悪く言えば「総花的で当たり障りのない官僚の作文」。いずれにせよ、長い。
同日の天皇陛下のお言葉。一部メディアでは「さきの大戦に対する深い反省」という言葉を捉えて、「前例がない謝罪」などと評価する。「反省」は、自分自身で行うもの、主体も客体も自分である。「謝罪」は、主体(自分)から客体(他者)になされるものである。したがって「謝罪」という解釈は適当ではない。あくまで「反省」である。陛下は謝罪してはいけない。
メディアは使われる言葉一言一句を評価する。文章やスピーチはもっと全体感を味わうものではないか。安倍首相の談話と天皇陛下のお言葉、国の政治のトップと国のシンボルという立場が違う二人から発せられるが、受けるニュアンス(反省の気持ち)はほぼ同じだ。国のメッセージとしては首尾一貫している。

【安倍首相談話】
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃(そろ)えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛(つら)い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留(とど)めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈(しれつ)に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐(おんしゅう)を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意(しい)にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引(けんいん)してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

【天皇陛下のおことば】
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。
ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
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アドバイス上手くいきますように

2015年08月17日 | Weblog
小学校時代の友人Y君から、「うちの軽音楽部の練習を見に来ないか?」とお誘いがあった。彼は自身が教諭を務めるT商業の軽音楽部の顧問である。部のバンドの一つがコンテストの全国大会に出場することになり、直前の練習を聴いてアドバイスをしてほしいとのことだった。Y君は、以前の高校でも顧問をしていた軽音を全国大会で上位に入賞させるなど、その道ではちょっと知られた男だ。
お盆は暇だったので快諾する。
初めてT商業にお邪魔する。校門で彼の携帯に電話をするとすぐに迎えに来てくれた。「M(私)が、うちの校内に居てるっていうのは不思議な光景やなあ(笑)」。そらそうやろ。商業高校なんて訪問するの初めてやし。
練習している教室へ行くと、そのバンドのメンバーたちが演奏を中断して迎えてくれた。Y君が私を紹介して私も簡単に挨拶する。
早速演奏。予選以降、今の楽曲を人前で披露したことがなく、聴いてもらって感じたことをそのまま話してやってほしいとのことだった。
バンドはボーカル(4人)、ギター、ベース、キーボード(2人)、ドラム、パーカッションの計10人編成。同部は30数人在席しているのだが、全国大会に出るこのメンバーたちだけがお盆返上で毎日練習しているそうだ。
ファンクっぽいロックに日本の祭囃子のテイストが入った独特の曲だ。悪くない。ただアドバイスはきっちりとしないといけないので3点述べる。
 ・楽器のバランス(全体的にドラムにかき消されがち)
 ・ボーカル組と楽器組の動きの統一(バンドとしては大編成なので動きがバラつかないよう)
 ・変調後の大サビの盛り上げ方(もともとテンションが高い曲を最後さらにどう盛り上げるか)
みたいなところをアドバイスする。
Y君は「さすがやなあ。そこは気になる所やってメンバーと話しててん。オレちょっと用事あって出かけるから、あと頼むわ。みんな、Mさんの言うこと聞きながら練習するように」と指示をし、教室を出て行ってしまった(オイオイ)。それから小一時間、真剣に色々と意見を求めてくる女子高校生たちにこっちも真剣に答える。
Y君が戻ってきてからは、二人であれこれアドバイス。結構良くなったんじゃないかなあ。
自分の子供くらいの年頃の娘たち、2時間くらい一緒に過ごしただけで随分愛情が湧いてくる。
20日が東京で全国大会本番とのこと。結果が楽しみである。
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