こちらの動画を見てもらいたい。
昨年の日本シリーズ巨人vs日ハムの第二戦。初登板の巨人澤村は一回表から大乱調。2死一、二塁のところでキャッチャー阿部がマウンドへ歩み寄り、澤村の頭をドツく。これにより平静を取り戻した澤村は、後続を断ち切りピンチを脱出する。
中学生の塾講師のアルバイトをしていた頃、一度だけ生徒を殴ったことがある。
O君という、大阪風に言うとチョケた生徒がいた。私語がひどく、授業の妨げになるようなことを喚く。繰り返し口頭で注意をしていたのだが全くきかない。このままではいけないと思い、横を向いてしゃべっているO君の所にツカツカと歩み寄り、「おいっ」と呼びかける。彼がこっちを向いたところで思いっきりビンタをした。すると彼はスクッと立ち上がり「すみません!」と頭を下げた。私もそれ以上は何も言わずに、また教壇へ戻り授業を再開した。もともと心底悪い男ではない。その授業の後は、彼なりのフォローか、わざわざ質問に来た。もちろん私もわだかまりなどなく、冗談を言いながら、質問に答えた。
以降の授業は平静を取り戻した。
社会人になってから、上司に一度だけ殴られたことがある。
お客さまの接待で私の段取りが悪く、相手に不便をおかけした。そのとき上司から、お客さまの前で「ボケ!」と言われ、腹をジャブで殴られた。そのときは、殴られたこと自体は何とも思わず、ミスをしてしまった自分のふがいなさを猛反省したものだ。帰りの車の中で、上司から、なぜあれほどまでに怒ったのか、説明してくれた。
以降も、もちろんその上司との関係は良好のままだ。すでに退職されたが、家に遊びに行かせてもらったり、今でもずっと年賀状のやりとりをしている。
「体罰」という言葉自体がネガティブな響きがあるが、使うタイミングを誤らなければ、悪いものではないと個人的には思っている。一瞬で相手を我に返らせたり、渇を入れるために、「ここ一番」で用いるのは、非常に効果的である。私に言わせれば、「エネルギーの凝縮されたスキンシップ」である。ただし、高等手段だ。ここを見極められない者が乱発すると「暴力」になってしまう。要するに使う側と受ける側との人間関係、および使う側のインテリジェンスの問題だ。従って、教育現場では安全サイドに「体罰全面禁止」となる。
体罰を指導のための常套手段としてしまうバカな体育教師(中高の体育教師にはこういう輩が多い)。件の体育教師が、自分よりその学校でのキャリアが長いということで、したい放題させていた校長および周りの教師たち。教師の暴力によって生徒が自殺するという最悪の事態が起こってしまった以上、橋下市長の主張する、今年の入試の中止および体育科の教師の総入れ替えは即刻やればいい。荒廃した教育現場を改革しようと思えばそれくらいじゃないと。
素早く意思決定しよう。そして連日過熱する報道にいい加減ピリオドを打ってくれ。もう見飽きた。