物部の森

日常感じたこと、趣味のこと、仕事のこと・・・等々
日記風に書いてます。

水谷隼・伊藤美誠 金メダル!!

2021年07月26日 | Weblog
水谷~!
美誠ちゃ~ん!
おめでとう~!!
絶体絶命の準々決勝ドイツ戦を耐えて勝ち、決勝の最強中国ペアには、出だし0-2とリードされてからの大逆転。
素晴らしい!!
こんな写真を見ると、このダブルスは奇跡のペアだったんだなあと思ってしまう。
団体も頼むで~!
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ビギナーズ古典読書会

2021年07月25日 | Weblog
「人間塾」のスピンオフ企画として始まった本会。全3回の初回である。
課題本は『墨子』。あらかじめTさんがボランティアでレジュメを作ってくれていた。
それを参考にしながら意見交換。
あらためて墨家の理論を読んだが、これは社会主義・共産主義の原型なのだ。
それを踏まえて議論すると、資本主義(の限界)や、今の中国共産党など、話題が広がって来る。そしてその分、議論が難しくなってくる。
残念ながら、私はありきたりな意見しか言えなかった。
2時間はアッという間。よく復習しなければならない。
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世界遺産二個所

2021年07月24日 | Weblog
暑くなってきたのであえて熱気に体をさらすこともしておかないといけない。
そこで今回も京都ウォーク。

■醍醐寺
電車だとちょっとアクセスが悪い。
京橋 ⇒(京阪本線)⇒ 中書島 ⇒(京阪宇治線)⇒ 六地蔵 ⇒(JR奈良線)⇒ 醍醐 ⇒(徒歩)⇒ 現地
六地蔵という駅で乗り降りするのが初めてだった。



















■東寺(教王護国寺)
東寺への移動も変わったアクセスで。
京阪バス停・醍醐 ⇒(京阪バス)⇒ 山科 ⇒(JR湖西線)⇒ 京都







東寺では良い仏像がたくさん観れた(写真撮影禁止)。

良い汗かいた真夏の世界遺産ウォーク。
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オリンピック開催

2021年07月23日 | Weblog
直前までドタバタだったが、なんとか開催にこぎつけたオリンピック。
スポーツ観戦大好き人間として、オリンピックというイベント自体はまったく否定しない。
選手ファーストの気持ちでできるだけ堪能したい。
開会式も全部観た。控え目で散漫な感じではあったが、見所はたくさんあったと思う。

<良かった場面> ※自分の評価順で
・橋本聖子会長のスピーチ
・ドローンによるオリンピックエンブレムや地球の演出
・劇団一人の演技(何か引き込まれたなあ)
・歌舞伎(海老蔵)とジャズピアノ(上原ひろみ)のコラボ
・王・長嶋・松井の聖火リレー
・オリンピック競技の動くピクトグラム
・会場に流れた『イマジン』と『手をとりあって』

<どうかなあと思った場面>
・バッハのスピーチ
・大坂なおみの聖火リレー最終ランナー

さ、これから楽しむぞ~。
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素晴らしき再会

2021年07月22日 | Weblog
ネットで検索して評判の良かった皮膚科。
2週間前に初めて行き、今日が2回目の来院。前回同様、院長(女医)が診てくれた。
診察が終わり、受付で会計をしていると、診察室から女医が出てきた。
「あのぉ、Mさん(私)ってF中学出身ですか?」
「え!?そうですけど…」
「わたし、同級生です!名前と、同い年だったので間違いないと思って」と旧姓を名乗る。旧姓で分かった。マジかあ。
受付のスタッフも「前回、Mさんが来たとき、先生が『絶対、同級生のM君やわ。次確める』って何回も言うてたんですよ」と笑っている。
彼女は中学と高校も一緒だった。高校の時はクラスが違うのでほとんどしゃべってなかったけど。
いやあ、びっくり。でも嬉しかったなあ。
で、とりあえずややこしい個所の皮膚病でなくて良かった(^^;)
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久々のコロンビアエイト

2021年07月16日 | Weblog
会社帰りに「コロンビアエイト」に寄る。
4月末からの緊急事態宣言でアルコール禁止になってから、行ってなかった。
花火とオリオンビール2本。スパイスカレーが胃にズシンと来る。これこれ。
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行方不明の「ふく」が戻ってきた

2021年07月15日 | Weblog
火曜日の晩、家内が勝手口を開けた一瞬の隙に、外へ飛び出して、そのまま行方不明になったうちの猫「ふく」。
翌日、家内と息子が、捜索チラシを100枚くらい作って、ご近所中に配り歩いた。みなさん、快く受け取ってくれた。喫茶店、中華料理店、居酒屋などのお店は、それぞれ壁にチラシを貼ってくれたりなどしてくれるところもあった。
その後、町内から続々と目撃情報が寄せられる。一緒に探してくれる人まで出てきた。
そうして、近隣のマンションの塀の上で寝ているところを発見。マンションの管理人も事情を知って、「中へ入ってええで」と敷地内に入れてくれた。息子が塀に上る。ふくは飼い主だと分かり、逃げずに大人しく捕獲された。
捜索から二日後、ようやく我が家に戻ってきた。良かったあ。
それにしても、ご近所のみなさんの優しいこと。普段あまりお付き合いの無い人たちまで、快く対応してくれた。このご恩を忘れず、今度はうちが町内のために尽くしたい。
本当にありがとうございました(嬉泣)。
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強さの秘訣

2021年07月14日 | Weblog
新型コロナの影響で2年ぶりの開催となった社会人野球・日本選手権。
14日、決勝が行われ、大阪ガスが2大会連続2回目の優勝を果たした。
会場で観戦していたが、驚いたのは、各選手の出身大学・高校。全国色んな学校から来ており、見事にバラバラだ。
昔は、関関同立を中心に、次に関東の有名校が続く構成だった。今は九州も東北も山陰もいる。私が見た限り決勝に出場したメンバーは、一人も学校が被っていなかった。
チームが強くなる。有力選手がプロに行く。良い学生をスカウトできる。それによりチーム力が落ちず、さらに強くなる。良い循環になっていると思う。
おめでとう、選手、スタッフのみなさん。
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父の七回忌

2021年07月11日 | Weblog
父の七回忌を執り行う。
母と弟家族とうちの家族のみ。菩提寺の住職が来て、お経をあげてもらう。その後は、堅苦しい説法などはなく、雑談。こういうのは肩肘張らなくて良い。
本来なら、どこかで食事をすべきなのだが、まだ複数人数での会食は憚られるので、仕出し弁当を取って、各家で食べることとした(母と弟家族は実家で一緒に)。
大阪でマンボウが収まったら、あるいは全員がワクチン2回打ち終わったら、あらためて食事をしよう。行きたい店はたくさんある(浅草寿司、PEGGY’S、天ぷら・こざき等々)。
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馴染みの店も営業再開

2021年07月06日 | Weblog
緊急事態宣言が明けて、蔓延防止等重点措置に移行したので、馴染みの店もソロソロと営業を始めた。
「こふく」は基本土日の15:30~19:00に開店。ママからLINEが来たので、顔を出した。ルール上は平日も営業できるのだが、お客さんは仕事帰りの勤め人が多く、19時閉店だと、寄ってもらうのが難しく、土日に絞っているそうだ。
「ボーダー」のマスターからも「14:00~19:00で営業再開」のメールが来たので、こちらも行ってみた。コロナ禍の下、実験的に昼飲みをやったら、それを聞きつけた常連がパラパラと来たので、今回もそのパターン。私の場合、土日の夕方なら、アペリティフ的にビール2~3杯を飲んでそのまま家で夕食を取ることが可能だ。
お店側は、コロコロと変わる状況に合わせて営業をしなければならないので、大変だ。
とにかく私は店へ顔を出すことである。
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現代書家 岡本光平展 ~空海とその世界~

2021年07月05日 | Weblog
あべのハルカス美術画廊で行われている「現代書家 岡本光平展 ~空海とその世界~」を観に行った。
不勉強で岡本氏のことは知らなかった。書家でありながら空海の研究家でもあるらしい。スタンダードな書から現代アート的なものまで、約50作品を鑑賞。空海や最澄については、もっと勉強したいな。
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キャロライナリーパー

2021年07月04日 | Weblog
ギネスで一番辛い唐辛子に認定されているキャロライナ・リーパーを買った。
スコヴィル値(何倍の水に薄めたら辛さが感じなくなるかという数値)が各段に高い。

 ピーマン、シシトウ…0スコヴィル
 タバスコ…1,500~2,500スコヴィル
 ハバネロ…25万~45万スコヴィル
 ブート・ジョロキア…100万スコヴィル
 トリニダード・スコーピオン・ブッチ・テイラー…146万スコヴィル
 キャロライナ・リーパー…220万スコヴィル

まずは、鶏の照り焼きに、粒の数が数えられるくらい少量をかけてみた。それでも辛さを感じる。
香辛料としては、変なクセがなく、単純に辛さが増すだけ。これは良かった。
何回か使って、やっと、パラパラというくらいにかけて、「辛~、ふ~、でも美味しい」くらいに慣れてきた。
値段はそこそこ高いが、使う量が少なくて済むため、けっこうお得かも。
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【幸福に関するエッセイ】「島耕作」作者が説く50代から人生を楽しむ方法

2021年07月03日 | Weblog
<ネットニュースより>

仕事、人間関係、お金、生きがい……40代までの未練を捨てて、50代からの後半生を楽しみ尽くすにはどうすればよいか。
『課長 島耕作』の作者で、生き方に関するエッセイも多く手がける弘兼憲史氏の新著『弘兼流 50代からの人生を楽しむ法』では、「身軽に生きるための6つの心得」が紹介されています。
本稿では、同書から一部を抜粋しお届けします。

■「カネさえあれば」という次元でものを考えない

 楽しく生きるために必要な心得の第一に、「小欲」を挙げたい。

 「小欲」とは文字どおり、欲少なく生きることだ。「小欲」を貫くことは気分爽快に生きるための、ある意味で万能薬となる。人生の悩みの多くがおカネにまつわることだとしたら、「小欲」はその悩みを癒す効能があるからだ。

 それに、思い立ったその日から実行できるところがうれしい。

 ただし、仕事や家族や老後といった現実を忘れることはできないし、そこから逃れることもできないのだから、カネはどこまでもつきまとう。

 食うためのカネ、家族が楽しく健康に暮らせるだけのカネ、男がフラリと好きな場所に出かけるだけのカネ、そういうカネはないよりあったほうがいい。というより、なければ困る。

 「せきをしても一人」という句を残した俳人・尾崎放哉は、東大法学部卒のエリートだったから大企業に就職してたちまち出世した。

 けれども放哉は自由を求めて会社を捨て、孤独を求めて妻を捨てた。それによって放哉は漂泊の人生を手に入れたが、現実には食うや食わずの生活だった。

 結核に栄養失調がたたってガリガリにやせ、孤独のままに41歳で死んだ。

 カネも食べ物もない生活を受け入れる気になれば、人間は一切のものを捨ててしまって放哉のような漂泊の人生を送ることができる。

 でも、そういう人生はかなり恐ろしい。放哉に憧れる男は大勢いるが、誰も放哉のように生きられないのは、カネも住処も食べ物もない暮らしが恐ろしいからだ。仕事を辞めて家族を捨てればいいだけなのだから、実行はたやすい。ただし、憧れと実行の間には超せそうもない暗渠がある。

■無欲になれば「無数の楽しみ」を見いだせる

 晩年の放哉は、「すき焼きで一杯やって死にたい」と願った。ぼくから見れば「小欲」だが、物乞いで生きる放哉にとっては自力ではかなえられない夢だ。

 けれども、放哉の生き方を考えたとき、人間というのはすべて捨ててしまえば「小欲」を無上の楽しみとして生きることができるんだなあとわかってくる。

 自分がどこまで無欲になれるかで、何気ない日々の営みに無数の楽しみを見いだせるかどうかが決まってくる。

 ぼくらは放哉のように生きることはできないが、せめてどんな現実の中にも諦めや無念や不快さではなく、楽しさを見いだせる男でありたい。

 不遇なら不遇で、それに埋もれてくすぶるような男ではなく、カラカラと笑って身の回りを楽しめる男でありたい。

 そのときまず大切なのは、「カネさえあれば」という次元でものごとを考えないということだろう。「カネさえあれば」と考えるとき、自分が向き合う現実は色あせたものになる。カネがないのだから、さまざまなことを我慢するしかないとはわかっていても、弾んでくる気持ちにはとてもなれない。

 ではカネがあれば、何が可能になるのか。

 答えはさまざまだと思うが、ひと言で言うならこうなるはずだ。

 「いまよりもうちょっとまともな暮らしができる」

 家、車、食事、スーツ、小遣い、酒場、旅行……とにかく暮らしの中のさまざまなシーンがいまよりもう少し贅沢になる。それはそれでうれしいことだ。

 ではいまの暮らしがみすぼらしくて我慢できないのだろうか。そんなことはないはずで、住処もなく飯も食えないサラリーマンはいない。

 それぞれの世代が、家族や収入に合わせてそれぞれのスタイルで暮らしているはずだ。不満はあっても「こんなもんだろう」という気持ちがどこかにある。

 すると後は、何を楽しみに生きるかという問題になってくる。

 それに答えるためには、自分自身の気持ちを家族や世間から切り離して真っ直ぐに見つめるしかないはずだ。

 「楽しみといっても、家族のためにはまだやらなければいけないことがある」とか、「不景気でいつリストラされるかわからないのだから、楽しみどころではない」といった答えは、少しも正直ではない。

■「着膨れる」人生とはおさらばしよう

 本音の本音を口にするならば、「わが人生」を取り戻すこと。それに尽きるのではないか。これからの楽しみは会社や家庭なんかじゃなくて、久しく思い描くことのなかった「わが人生」の中にある。

 放哉は10年余りのサラリーマン生活の後、「わが人生」を歩き出した。最初に断ったように、ぼくらには放哉のまねなどできないし、する必要もない。

 しかしこれ以上、着膨れる人生とはおさらばしてもいい。身の回りには暮らすに十分なものがそろっているのだから、これ以上のものはもういらない。

 「カネがあれば」と嘆くより、とりあえずいま手元にあるカネで自分の楽しみを味わうのが「わが人生」ではないか。

 さらに言えば、カネがなくてできる楽しみを味わう生き方だってある。夕日を眺めるのが無上の楽しみという男がいた。夕日に輝くのは彼の顔ばかりではない。心も明るい光彩を発している。

 放哉は無一文・無一物で、食べ物を乞いながら生きた。何も持たないのだから、恵んでもらったものは、「入れ物がない両手で受ける」しかなかった。

 ひとつの極限として、そういう生き方を選んだ男がいたということを、ぼくらは覚えておいていい。 それに比べれば「わが人生」には、こざっぱりとした姿で楽しめる無数の小欲が残されているからだ。

 10代の頃は、漠然とした中に「わが人生」が広がっていた。将来にはっきりしたイメージは浮かばなくても、好きなことに熱中できる毎日がそのまま「わが人生」だった。

 社会に出ると仕事が大きな比重を占めてくる。結婚して家族ができれば家庭の比重も大きくなる。「わが人生」は具体的で現実的なものになり、その中に目標が生まれてくる。

 それを「楽しみ」と言ってよいのかどうかはわからないが、ほとんどの男は仕事や家庭の中に自分の理想を描いてみる。これが30代から40代にかけての男ではないだろうか。

 具体的で現実的な目標というのは、わかりやすく言えば「もっとよい暮らし」のことだ。

 よい会社に勤め、出世して給料が上がればもっとよい暮らしができる。ローンで家を買い、子どもを塾に行かせて有名校に入学させる。夏休みには家族で海外に出かけ、豪華なホテルでおいしい食事を楽しむ。

 そういう暮らしを目標にし、堅実に財産を増やしていく。経済が右肩上がりの時代には、個人差はあっても日本のサラリーマンがだんだん豊かになったのは本当のことだ。

 けれどもそこに「わが人生」があったかどうか。50代を迎える頃に、たいていの男はそんな疑問を持つのではないだろうか。

■40代まで「土台」を作るのに費やしたが…

 確かに形となって残ったものはある。

 形はなくても自信やプライドとなって備わったものもある。

 しかし、「わが人生」とはそういうもので満ち足りてしまう人生なのだろうか。

 別にGDPを押し上げるために働いてきたのではない。自分をひとりの男として見つめ直せば、家なんか広すぎるし、子どもがどんな学校に入ろうが関係ない。「わが人生」を会社や家庭とぴったり重ね合わせて納得する男はいないはずだ。

 30代から40代にかけての人生というのは、しっかりした土台を作るのに費やした人生と言えるかもしれない。組織の中にあっては安定した自分のポストやポジション。上司や部下との関係。家庭の中にあっては家そのものや落ち着いた家族の関係。そういう土台や人間関係を作ることが、これからの人生のためには必要だと思い込んでいた。

 ところが盤石に構えたつもりの土台に何ひとつ築けるものがなかった。肝心の「わが人生」は、どうやらそんな土台とは無関係なところにあるらしいと気がついてしまった。

 それが、40代から50代にかけての男たちではないだろうか。

 ぼくはそのことを不幸とか淋しいことだとは思わない。

 「わが人生」の空疎さに気づかないほうが不幸であって、かつてのサラリーマンには定年後も「○○会社の社長でした」と職歴をひけらかすしか能のない男が大勢いた。

 同世代の男に対して、どんな会社のどんなポストまで上り詰めたかを評価のものさしにする男たちというのは、すでに死んだも同然の男たちではなかったか。

 ヨーロッパ・ツアーに参加した男の話である。ツアーの中に70になる男性がいた。この人はことあるごとに自分が何々会社の重役であったことをほのめかし、周りの男性(全員リタイア組だが)の元いた会社名や職歴を聞きたがっていたそうだ。ツアーの鼻つまみ者となっていることに、当人は気がつかなかったらしい。

 こういうのは、いまや化石の部類だろう。いまのサラリーマンは違う。定年まで勤めることが前提ではなくなったのだから、40代、50代の若さで人生の仕切り直しを余儀なくされている。

 そこに、「わが人生」を取り戻すチャンスがあるはずだ。空疎さに気がつくということは、むしろ幸せなことだと思いたい。

■小欲を「フワフワと」楽しもう

 会社も家庭も「わが人生」ではないとすれば、たちまち気が楽になる。職場での評価に人生を重ね合わせたからつらかったのだ。評価が下がれば人生も下り坂だと思い込んでいた。気にすることなんかなかったのだ。

 あるいは家族への義務感に縛られたからつらかった。豊かな暮らしや安定した暮らしを守るのが自分の役割と思い込んできた。先の見えない不況の時代にあって、重苦しい役割だったが、これも気にしなくていい。

 では、「わが人生」をどこに見いだすか。

 下り坂だろうが収入が減ろうが、少しも動じることのない世界だ。明日は明日の風が吹くの世界だ。さらに言えば「小欲」の世界だ。

 息苦しい土台作りの人生とはおさらばして、小欲をフワフワと楽しめる人が、結局は「わが人生」を楽しみ尽くすことになる。そろそろそういう時期、「小欲」の時代ではないだろうか。

弘兼 憲史 :漫画家
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三菱電機の件

2021年07月02日 | Weblog
まるで不祥事のデパートやね。
社風(特に上の方)が根本から腐っているのだろう。
わが社を顧みる。自分が勤務して30年。慎重だ臆病だ、意思決定が遅いとは思ったことは何度もあるが、上層部がコンプラ面で難あり、と思ったことは一度もない。
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タイガース戦3連敗

2021年07月01日 | Weblog
ヤクルト戦。E先輩が知り合いからチケットをもらったので、そのおこぼれにあずかった。
会社を出ようとしたところ、メンバーから相談事項あり(これはわりと「あるある」だ)。それがけっこう延びて、甲子園に着いたときは、7回表で1対1に追いつかれたところだった。
それから、両軍ともこれといった見せ場はなく最終回へ。同点だが、あえて守護神スアレスを投入。ところがスアレスが大乱調。急きょ後を受けた馬場も打たれ1対6になってしまい、そのままゲームセット。
これで今シーズン3連敗である。勝率6割強の首位タイガースの試合で、負け試合が3試合続く確率は、わずか5%。“外野”からは「今後大事な試合は、甲子園行かんとってくれ」との声も出始めた(泣)。
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