物部の森

日常感じたこと、趣味のこと、仕事のこと・・・等々
日記風に書いてます。

新しい生活様式を痛感

2020年06月29日 | Weblog
天王寺の大阪市立美術館と、界隈の商業施設に行った。自分にとっては、5月末の自粛明け以降、初めての経済・文化・経済活動である。
街へ出て色々と感じさせられた。それをパワーポイントにして、翌日の所属の月次の夕礼で話をした。
(会社関係の情報が入っている部分は削除)











まだまだ当然、コロナによるマイナス影響の方が大きいだろう。
それをいかにプラスに転じさせられるか。創意工夫が必要である。
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zoomセミナーfrom銭屋本舗

2020年06月27日 | Weblog
T先輩とE先輩から同時に紹介された写真のセミナーをzoomで受講する。
会場は上本町にある銭屋本舗という文化スペース。カフェなどもあり、面白そうな建物だ。こんな所があるとは、全然知らなかった。案内をもらったときは、家からも遠くないし、リアルで参加するか迷ったが、格好など気にせずリラックスして聴けそうなので、結局zoomにした。これがオンラインセミナーの良いところである。

<講演で印象に残った内容>
・「災」とは、元に戻せるという意味の漢字。壊れたものは直せる、なくなったものはつくり直せる。
コロナ禍の「禍」とは、元に戻らないという意味の漢字。コロナが収束しても元には戻らない。
・日本は「IT・AIで、なにができる」と、技術を起点に考えるが、世界は「こんな暮らしや仕事をするため、IT・AIをどう使えるのか」と、“ライフ・ビジネススタイル”を起点に考えた。
これが、日本の「失われた30年」の根っこにある。コロナ禍の今も、これは続いている。
・コロナ禍のなかで浮き上がった大切なキーワード。「親子・家族・幸せ」。家族といる「濃厚な時間」を体験した。おそらく人生の中でも最も記憶に残る3ヶ月になるだろう。
・①社会的価値観・意識
②生活・行動様式
③時間の転換・場の転換・機会の転換
④都市・地域、産業、経済
これまでは④⇒①の順番で変化してきた。
戦争・政変・災害・災禍があると①⇒④の順番で変化する。
※⑤技術革新・知的基盤(歴史・文化)は①~④それぞれに影響を与える。
・患者は英語はPatient。耐え忍ぶこと。日本の患者は、憑依したものを脱ぎ捨てる。耐えてじっと待つのではなく、自分の意思で、振り払おうとする。コロナ禍に対する日本と欧米の行動様式の違い。
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PEGGY’Sで夕飯

2020年06月24日 | Weblog
会社帰りにPEGGY’Sに寄って、ビールと豚肉のペペロンチーノ(大盛り)。
家の近所に、雰囲気が良くて、飯が美味くて、マスターが素敵な店がある。これは人生のおけるかなりの加点要素である。
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すべての麺は消耗品である ~らーめんセンター トミオ~

2020年06月22日 | Weblog
夏至の翌日も夕陽が綺麗だった。会社帰り、尻無川向こうの夕暮れ景色をパチリ。


帰りは、「らーめんセンター トミオ」で初めてのまぜ麺。出てきたのは、麺の上に煮干しが二切れ乗っているだけのシンプルなもの。店員さんからは「よく混ぜて食べて下さい」とのアドバイス。最初、麺だけ少し食べて、それから混ぜる。下から濃厚なタレが出て来た。た。うっ、ちょっとタレが多いかも。追い飯で少し緩和されたが、もうちょいタレ少量でもいいかなあ。
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コーヒー・父の日・夏至

2020年06月21日 | Weblog
日曜日夕方、美章園の南にある「karo 馥郁焙煎工房」という喫茶店に行く。少し前の朝日新聞夕刊で紹介されていた。マスターは、相当コーヒーにこだわりのある人で、店の内外観はレトロで良い感じだったので、早速訪問。初めての人は少しビビってしまう狭く急な階段を上がり、2階で読書をしながらホットを一杯。


帰ってから家族で夕食。父の日のプレゼントのビールを飲む。岡山産の地ビールと珪藻土でできたコースターをもらった。地ビールはドイツ系の濃厚なタイプ。3種類が2本ずつの6本セット。どれも美味しい。実はこのプレゼント、先週の日曜日にすでにもらっていた。家族が父の日を一週間早く勘違いしていたのだ(笑)。ということで、今年は2回祝ってもらった。こんなん、何回あってもいいですからねえ(ミルクボーイ風)。


食べ終わってから、夏至の夕暮れを、八反田地蔵横の歩道橋から撮影。少しアプリで加工。我ながら素敵。


万年筆の師匠のTさんの投稿によると、今年は、夏至と新月、部分日蝕(インドネシア等では金環日食)が重なるという数百年に一度の、特別な夏至だそうだ。宇宙に、自分はこうする!という明確な意図を放つといいらしい。
家族の健康と幸せを願う。
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SBJ&BORDER

2020年06月20日 | Weblog
土曜日。夕方は、「世田谷ビジネス塾(SBJ)」にzoomで参加。まだ東京の会場(駒澤大学別館)は使えないらしい。私はzoom開催だと大阪からでも出席できるのでありがたいのだが。会場が使用可能になっても、塾長のMさんは「リアルの集まりとzoomと両方でやっていきたい」と嬉しいプランを考えてくれている。
今回は、『コロナショック・サバイバル』を紹介するつもりだったが、時間切れで、私まで回って来ず。早い段階で、発表の手を挙げればよかった。まあ、次回。
晩は22:30頃に、「BORDER」へ一人飲みに行く。前日の在宅勤務からずっと外へ出てなかった。さすがに外の空気を吸いたかった。ビールとバカルディのライムロック2杯。ホロ酔い。でも3分で帰られるから問題無し。
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プロ野球開幕

2020年06月19日 | Weblog
約3ヶ月遅れでプロ野球がついに開幕。
本来なら今日は、満員のアルプスで阪神vs巨人戦を観る予定だった。
それが東京ドームの無観客の巨人戦をTV観戦とは。えらい違いだ。
でもプロ野球が始まったということを喜ばんとあかんね。
で、阪神は逆転負けを喫しました、とさ。



このチケット、もちろん払い戻しできるんだけど、どうしようかなあ。
歴史の証人?として取っておこうか…。
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結婚記念日の朝

2020年06月18日 | Weblog
朝、出勤時。玄関にて。
妻「行ってらっしゃい。いつもありがとね」
私「なんやねん、いきなり」
妻「今日、結婚記念日やから」
私「アッ…」
6月18日に幾度となく交わされたこの会話…(^_^;)
いつもありがとうございます。
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堺⇒明洋軒

2020年06月16日 | Weblog
堺の事務所で会議があった。以前の私の勤務地。会議室にも久しぶりに入った。何もかもが懐かしい。
終わってから、南海・天下茶屋駅で途中下車。「明洋軒」に寄る。
大将のM君とも久しぶりに顔を合わす。非常事態宣言中は自粛営業で、6月に本格稼働してからも、閉店時間を1時間早めているらしい。まだテイクアウトも多いそうで、わたしが食べている間も料理を持ち帰る客がかなりいた。
餃子3人前、唐揚げ、漬物、ビール3杯。ホロ酔いでタクシー帰り。
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梅雨入り

2020年06月14日 | Weblog
梅雨入り。
ずっと雨。一歩も外へ出ず。
蒸し暑い夜は、ドライジンと軽い読書で。
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週末、ロック食堂へ

2020年06月13日 | Weblog
会社帰りに「ロック食堂」へ寄り道。
5月から無観客ライブをFacebookで配信したり、色々と新しいことを試みているマスター。6月は徐々に通常に戻してくようで、演者と客の間に透明のビーニールカーテンを垂らして、一部観客を入れながら、配信もするようだ。色々と工夫を凝らしている。
新たに缶バッジを作成して販売している。喜んで一セット買わせてもらった。小ぶりで良いデザインだ。次は千社札を考えているそうだ。こちらはノベルティとしてお客さんに配布する予定。
私が滞在している1時間半の間にも何人か常連客が来た。仲間から慕われている店は、有事に強いね。
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高松デッドフラワーズ14回目

2020年06月10日 | Weblog
3月の練習以来、3か月ぶりの練習再開。スタジオもアルコール消毒を置いたり、きちんと感染予防をしている。
「しばらくスタジオ練習できへんやろうから、新しい曲も練習しとこうや」というC君の提案で、今回は「Tumblin' Dice」をみんな自主練習していた。そして本日、初合わせ。原曲はエンディングが長い。そこをどう締めるかというとこだけ決めて、M君のドラムから合図することにした。3回くらいやったが、すべて上手くいった。私もソロはほぼ間違えずにできた。メンバーからは「ちゃんとできてるやん」「在宅勤務せんとギター練習してたんちゃうんか?」と褒め突っ込みが入る(^_^;)。
他の曲もブランクを感じさせず、ちゃんと合わせられている。安定している証拠だ。
帰りに、マン君とC君にギタースタンドを一つずつプレゼント(?)。家にあるやつを集めたら持ってるギターより2個多かった(写真。ギター好きあるある)ので、もらってもらったわけ。
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生活や社会のスープ化

2020年06月08日 | Weblog
5月27日付ニューヨークタイムズのコラム。
6月5日の朝日新聞デジタルに掲載されていた。外出自粛・在宅勤務の弊害を述べている。時間や空間の境目(役目と言ってもいいかも)が無くなり、それを「生活や社会のスープ」と表現しているところが印象的である。

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(コラムニストの眼)
「部屋」を出る重要性 精神的リセット、集中力を左右 フランク・ブルーニ
2020/6/5 5:00 会員記事

 2008年に、ニューヨーク・タイムズ紙でフルタイムで働くかたわら、隙間時間に大急ぎで回顧録を作ろうとしていた。その時、私はある習慣を身につけ、それで大いに助けられた。
ここから続き
 新聞記事を書く時は、自宅アパートの一室で、大きな机の上のパソコンに向かう。ところが、たまっている本の原稿を執筆する時は、別の部屋の小さなダイニングテーブルでノートパソコンで書いていた。
 ダイニングテーブルに移動してノートパソコンを起動するのが合図になり、そこから立ち上がるのも合図になった。家の中に回顧録のための空間があったからこそ、私の脳内にもそのための場所があった。集中しようと思えば、本当に、ものすごく執筆に集中できた。これほどまでに勢いよく、何事にも縛られずに集中して書いたことは、それまでなかったと思う。
 このことを思い出したのは、最近、友人や仕事上の付き合いのある人たちと話していた時だ。話題になったのは、この締め付けがきつい、いまいましいロックダウン状態をどうふんばっているかについて。生活のあらゆる面で境界線がなくなり、とらえどころがない、ぼんやりとしたものになったかという不満を彼らは繰り返していた。
 突然、家とオフィスが一つのものになり、気分転換のために通信環境のいいコーヒーショップへ走ることもなくなった。子どもたちは、かつては家をいったん出たら何時間も帰ってこなかったのに、今はずっと家で足元にいる。配偶者や恋愛相手は四六時中そばにいる。
 平日と週末の区別がつかなくなった。いつもカレンダーに書き込んでいた印(誕生日パーティー、卒業式、結婚式)は消え、特定の場所で特別な催しを開くという習慣もなくなった。あらゆる活動の場が、ただ1カ所だけになった。自宅だ。
 通勤通学や交通渋滞、多くの用事にわずらわされずに済むことは効率的かもしれないが、同じくらい簡単に気力がそがれることにもなりうる。実際、私の友人や知人は、いかに仕事がはかどるかを熱く語っていたわけではない。これまでになくきつく停泊させられているのに、漂流しているような感じがするという矛盾に驚いていた。ずっと同じ場所での避難生活によって、狭すぎる空間で迷ったままにされている。
    *
 もちろん彼らも私も、この上なく恵まれている。家でじっとしているという選択肢がない人は大勢いる。健康上のリスクが高くても外出せざるを得ない状況にいる人たちだ。彼らは気が遠くなるような単調な生活を歓迎するだろう。
 だとしてもやはり、これは試練だ。近く掲載されるコラムのために取材したある大学教授はこう言っていた。同じ場所に座り、同じ画面を凝視し、同じペースで精神を新陳代謝させる状態が長く続く場合、頭のキレを保つことがいかに難しいか。彼はこのパンデミックが起きる前には「部屋を出ることの重要性」を十分に理解していなかったと言った。
 「部屋を出ることの重要性」。これはまさに、うまく言葉にできなかったが、私が先ほど記したような方法で本を執筆していた時に認識し、付き従っていたことだ。この表現(着想)は、物理的な場所について言っているだけではない。
 私たちはよく、自らの行動に意味を与える。行動を定義付け、範囲を定め、場所を決め、ほかのことと切り離すことによって、その行動をほめたたえ、確実なものにする。ある行動が特別なことであるためには、そこに向かい、そこから離れられることがとても重要だ。
 セラピストはなぜ、不眠症の人にベッドで本を読んだりテレビを見たりするのではなく、眠りたいときにだけ枕に頭を置くように言うのか。境界線を構築するためだ。こちら側では目が覚め、あちら側では眠る。ある合図に対して決まった行動で反応するよう、脳と体を訓練するのだ。
    *
 オフィスの目的の一つは、精神的なリセットを促すことにある。共有スペースを提供する「WeWork」が現れ、急速に広まった理由もそうだ。いま私は「ここ」にいて、Yのやり方でXをする。少なくとも「あそこ」に戻るまで、といった具合に。
 服装もまた別の形での定義付けであり、決まった合図である。のりの利いたシャツを着るのはビジネスの時間だという知らせであり、キラキラした格好はパーティーの時間だ。スウェットパンツをはけば、脱力する時間というわけだ。
 では、朝のコーヒー、Zoomのオンライン会議、オンライン飲み会、夕食がスウェットパンツ姿だったらどうだろう。コーヒーもオンライン会議もカクテルもキャセロールも、それぞれが数十フィートの距離で起きる。隔離がもたらした混沌(こんとん)を見よ。
 「社会の形そのものが私たちの目の前で溶けてなくなりつつある」。ライターのサム・アンダーソン氏は最近、ニューヨーク・タイムズ・マガジンに載ったエッセーで指摘した。業務日や食事時間といった決まり事が「意味を失ってしまった。社会は大部分が骨抜きになってしまった。『元社会』のスープに」と。
 骨抜きにされた、スープのような生活。その通りだと思うし、そう感じる。集中力は、骨と境界線に依存する。区画と区分けを必要としている。
 私は新しい本を執筆している。いつになく筆の進みが遅い。
 (〈C〉2020 THE NEW YORK TIMES)
 (NYタイムズ、5月27日付電子版 抄訳)
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zoomで情報交換&ワークショップ

2020年06月07日 | Weblog
東京のTさん、わが高校の後輩でTさんとはコーチング仲間であるSさんと3人で、朝からzoomで情報交換とワークショップを実施する。
Sさんが最近、「Points of You」という写真を使ったワークショップを始めたそうだ。オンラインでどのようにやっていくか、「Tさんと私にモニターしてほしい」ということであった。久しぶりに3人でしゃべれるし、もちろん快諾。
zoomを繋いでから冒頭は、3人でコロナの影響など近況報告。その後、Sさんが「Points of You」のサイトを使って、内容を説明してくれた。本来なら写真そのものをデータにしたら分かりやすいのだが、著作権などが厳しく、サイトに掲載されている見本でしかできないそうだ。イスラエル生まれのその演習について、私はまったく知らなかったので興味深かった。2時間強、結構盛り上がる。
zoomが終了してからも、メッセンジャーで、振り返りや、最近読んだ本の情報交換などを行った。知的な二人とのコミュニケーショんは刺激に満ちている。

※写真はzoom使用時のセッティング。内臓カメラは少し上から撮影する方が、顔がシャープに映るので、PCを少し高めに置いた方が良いというプロのアドバイスに従って、下に台を敷いている。
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ストロベリームーンを眺めながら

2020年06月06日 | Weblog
土曜日は満月。この時期の満月は、ストロベリームーンというそうだ。
日本を含む北半球では、一年で最も赤っぽい月が見られるのが6月だそう。北半球では、太陽の高さは夏に高く、冬に低くなる。反対に、月の高さは夏に低く、冬に高くなる。夏至の月は、一年のうちで一番地平線に近い軌道を通るため、大気の影響によって赤く見える。地平線近くの夕日が赤く見えるのと同じ理由だ。注意しないといけないのは、「夏至に一番近い満月」だということ。必ずしも夏至に満月になるとは限らないからである。
ストロベリームーンを観がてら、夜10時半頃外出。「ボーダー」に飲みに行く。しばらく客は私一人だけ。マスターも「まだ回復って感じちゃうなあ」と少し寂しそう。私「弟とかは(来てる)?」。マスター「いや、しばらく来てへんなあ。K君はちょっと前に来たけどなあ」。なんて会話をしていたら、その30分後くらいに、弟とK君とN君が3人で入ってきた。「おおっ!」と全員盛り上がる。「今、君らの話をしてたところや」と、そのまま私も混ぜてもらって4人で飲む。そのうち、また一人客が入ってきた。ちょっと良い感じになってきたので、私は逆に退散。地元の老舗バーが盛り上がらんとアカンね。
帰り道、ストロベリームーンと同じく、私の顔も少し赤いようだ。
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