~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

胸キュン

2016-11-16 23:47:27 | 日記

季節は、確実に晩秋へと向かっています。

日暮れの早さに、心細さを感じる時があります。

夕飯の買い物を終え、家路に急いでいるとき、

路地を曲がったところで、ふいに後ろから声を

かけられました。

振り向くと、高校生くらいの男の子が

「これ落としませんでしたか」と、私に蕗を

差し出すのです。慌てて買い物の袋を見ると

買ったはずの蕗がないのです。

私は思わず「有難う!」と言って蕗を受け取り

ました。

そして、2~3歩行ってから、大きな声でもう一度

「有難う」と言うと、彼はちょっと照れた様子で

ちょこんと頭を下げました。

なんて素敵な若者だろう。わざわざ追いかけて来て

届けてくれるなんて!と思ったら嬉しくなりました。

胸キュンの小さなプレゼントを貰ったみたいで…

胸キュンと言えば、作家の田口ランディさんは

胸キュンのプレゼントの達人です。

さらしを縫って、ランディさんが絵を描いた

ふきんを頂いたとき、胸がキュンとしました。

初女さんへのお土産と言って、桐の箱を

大事そうに抱えていたので、高価なお酒かと

思っていたら、可愛い天使の飴細工が入って

いました。

初女さんも、可愛いね~と言ってじっと見て

いました。

私が持って行ったのは、アンゴラの靴下

実用的だけど…あ~胸がキュンとなるような

そんなプレゼントが出来る人になりたいな~

蕗の君の胸キュンからランディさんの胸キュン

プレゼントに飛んでいきました。

スーパームーンは、宇宙からの壮大なプレゼント

感謝して生きなくちゃ…

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠くて近いもの

2016-11-15 23:49:29 | 日記

綺麗な綺麗なお月様でした。

月の光の中に立ち尽くしていると

あ~私たちって見守られている存在なんだと

素直に心から思えるのです。

子どもが小さい時、走っても走ってもお月様が

付いてくると不思議がっていたことがありますが

あの時、お月様がいつも見ていてくれるんだよと

言ってあげればよかった…

宇宙は遥か遠くではなく、そこにある

人間の原子を考えると、私たちの体は星のかけら

から作られているっていえるのかな~

宇宙は、この体の中にもあるってことかも

遠くにあると思っていたものが、案外すごく

近くにあるのかもしれない…

橘川幸夫さんの言葉が思い出されました。

希望というのは、全く見たこともない

斬新なものではなく、もしかしたら、

とっくに知り尽くしていたと思う在庫の中に

あるのかも

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙を感じること…

2016-11-14 23:18:41 | 日記

今晩は68年振りのスーパームーンでしたが、

残念なことに雨となってしまいました。

昨日の月は、スーパームーンの前夜祭のような

大きなお月様でした。

なぜ人は月や星を見ると宇宙を感じるのでしょう

21世紀という時代は、日常の中で宇宙を感じる

ということが、今まで以上に大切になって

きている気がします。

地球は生物多様性の星です。

今、世界中で自国民の利益を最優先という流れが

大きくなっていますが、多様性の星に住む私たちは

多様性を認めることが、生命への道のように

思います。

明日は、スーパームーンが観られそうです。

何年振りかで、望遠鏡で月を観てみようと思います。

宇宙を自分の中に感じてみようと…

『手が届きそうな天上の輝きは、何万年前、

何億年前の光がやっと今たどり着いたという。

無数の星々がそれぞれの光年を放つなら、

夜空を見上げて星を仰ぐとは、気の遠くなるような

宇宙の歴史を一瞬にして眺めていること。

                 星野道夫  』

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

癒しとは…

2016-11-13 22:27:30 | 日記

田口ランディさんが、講演会で「私、兄が死んだ時の

ことなんか忘れちゃったのよ。

だから、書かなきゃいけない時に、以前書いた

自分の作品を読んで、こうだったって思いだすの」

と笑って言っていました。

今、ランディさんは「骨風」という芝居の稽古を

しているそうですが、家族の歴史が自分に

そっくりとだという

そのお芝居を通して、自分の過去と再び向き合う

ことになり、その苦しさをを真っ直ぐに書いている

ランディさんの文章を読んで、心の底に埋め込み

化石としてしまったことも、掘り起こさなければ

いけないんだ

生きるとは、この発掘作業をスルーしては

いけないということなんだと思いました。

その時、初女さんのこの言葉が思い出されました。

『人を癒していると思ったことは

ありません。

人の心はたいへん深いものだから

人に人は癒せないと思うのです。

癒しとは、自らの気づきによって心を解放

したとき、はじめて得られるもので

ないでしょうか

            佐藤 初女

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮澤賢治の言葉

2016-11-11 23:46:57 | 日記

新聞に、津田塾大の教授で哲学者の萱野稔人さんが

『選挙結果の背景に「米国第一主義」への共感を

挙げる。国力の衰退とともに、米国だけでなく

日本や欧州でも「自国民の利益を最も優先して

ほしい」と考える人が増えている』と書いてあり

ました。

世界がそういう流れになってきているのでしょうか

ふと、宮沢賢治の言葉が浮かんできました。

賢治のこの言葉は、「理想だよ」と言われてしまう

かもしれませんが、理想を持って、その理想に

少しでも近づきたいと思い生きていくのが、

人間という生きものではないでしょうか…

賢治の言葉は、難しいけれど今こそ

向き合わなければいけない言葉のような気がします

 

『 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の

幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と

次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向に

ある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して

これに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 

求道すでに道である

                           宮澤 賢治』

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初女先生、祈って下さい

2016-11-09 20:18:03 | 日記

今日は、木枯らし一番が吹きました。

冬の到来を感じるような朝でした。

私は、先日頂いた「初女」のネームが入った

初女先生のコートを着て出かけました。

余裕を持って家を出たのに、初女先生のコートを

着ていると、先生と一緒にいるようで、自然と

ゆっくりな足取りになり、電車に乗り遅れて

しまいました。

初女先生は、どんな時も焦ることがなく

先生のぐるりだけ、時間がゆっくり進んで

いるようでした。

直ぐに、解決策が見つからないような問題が

あると、「自然に任せましょう」と言われて

待っていました。

そんな初女先生を包んでいたコートを着たら

私までが、ゆったりとしたのかもしれません。

弘前から初雪の便りが届きました。

テレビはアメリカの大統領選一色です。

21世紀の世界は政治はどうなって行くのでしょう。

世界中から寛容さが失われて行っている気が

します。

やっぱり、一度はヴォルテールの「寛容論」を

読まないといけないかな~

寛容さが失われた社会は、生きにくい社会と

なって行くんだろうな…

平塚美術館で丸木位里・俊の「原爆の図」

香月泰男の「シベリアシリーズ」

川田喜久治の「地図」を観てきました。

美術館は平和も発信していかなければ

ならないと言う館長の言葉にも感動しました。

作品が語る、声なき声に苦しくなりましたが

すべて現実に起こったこと…

この惨たらしいことを、やってしまう心が

私たちの中にあることを知っておかなければと

思いました。

寒い一日でしたけれど

初女先生のコートに包まれて、心まで温かく

なった気がしました。

先生、有難うございます。

どうか、世界の平和を祈って下さい。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いのちそのものとして生きた人~佐藤初女さん

2016-11-08 23:26:22 | 日記

「いのちのエール・初女おかあさんから娘たちへ」の

Facebookにランディさんが書いていた文章を何度も

読み返していました。

分かるところと、今の私にはよくわからないところが

あります。

でも、初女さんはいのちそのものとして生ききった人という

ところにハッとしました。

星野道夫さんのヘラジカの写真と初女さんの写真に

共通のものを感じたのは、そのことだったのかと…

う~ん、しかしランディさんの語っていることは深い

このことは、心のポケットに入れておこう

いつか、そうか!と霧が晴れるようにわかる日が

来るはずだから…

ランディさんの文章です

10月3日、森のイスキアでkoyomi さんが「ふきのとうの歌」

を歌ったとき、パラパラと雨が降ってきて、歌い終わった

あとは雨。初女さんはなにか大切なときには雨を降らせる人だと

周りの人たちは言う。だから、あの雨は

「わたしはここにいますよ」という初女さんの存在を

知らせる雨だったのだと、たぶん、みんな思ったはず。

雨を降らせる人には竜神が眷族としてついていると、

聞いたことがある。初女さんはクリスチャンだったけれど、

水や農にかかわるお役目を果たしたから、竜を従えていても

不思議ではないなあと思った。

いのちに与えられた生を、いのちそのものとして

生ききった人。じぶんがいのちそのものであることを

わかっていたから、いのちとしてすべてのものと

つながっていた人、そういう生きかたは「わたし」としては

不都合なことも多かったろうと思う。

社会は「わたし」であることを求めるし、「わたし」は

「わたし」に違いない。佐藤初女というイメージが一人歩き

してしまうことも、与えられた人生の課題として

向きあっていた。「行動」することで示そうとしたのは

「いのち」が佐藤初女を生きていることであ...って、

佐藤初女はかけがえのないいのち、でもとるにたらない

ものでもある、ということをよく理解しておられた。

佐藤初女を目指すのではなく、いのちそのものであることに

気づいて、と初女さんはことばにせずとも、行為で

語りかけていた。

「わたしは、我が強くてめんどうくさがりやなんですよ」と。

「だから、ていねいに生きると決めた」と。

「決める」というのは、とても宗教的なことで

「そうであるかどうか」ではなく「決めたらやる」というのが

「信仰」なのだ。信じるとか信じないとかどうでもよく

「信じると決める」ことが信仰、この「決める」ということを、

初女さんは最後までわたしに伝えようとしてくれた。

誰がどう言おうと「決める」それだけのことが、いかに困難か。

そして「いかに困難か」などとぐちゃぐちゃ言っているのは

「決められない」からなのだと、つくづく思う。
                    たぐちらんでぃ

 

 「佐藤初女」の画像検索結果

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「美しい話」

2016-11-07 23:18:11 | 日記

「美しい話」

文字で読むと白々しい言葉のように思えますが、

この話は美しいとしか言いようがないと

思いました。

私は、昨日電話でしかお話をしたことがない

弘前の方とお会いしました。

この方は、佐藤初女先生が自宅でお話なさる時に

テープを録ったりするお手伝いをしていた

そうなのですが、初女先生がよく私のことを

(息子が最後に食べたおむすびのお弁当のこと)

話されていたので、私のことが心にのこっていた

そうです。それで連絡を下さり、昨日は東京に

来られるというので、皇居のお堀の側でお会い

しました。

初めてお会いしたという感覚がまるでなくて

私は、あ~初女先生が会わせて下さったんだなと

思いました。

その方が、初女先生が思うように動けなくなって

お手伝いに伺っているときに

自分には何も出来ないけれど、拭き掃除なら

出来ると、廊下や階段を拭き掃除をしていたら

先生のお部屋の襖が、すーっと開いて

初女先生が、その方に手を合わせて、

又すーっと襖が閉まったそうです。

この話を聴いたとき、聴いている私までもが

浄められていくような気がしました。

先生の行為も思いも一点の曇りのない美しさを

感じるのです。

先生は、体が動けなくなり苦しみも痛みも

ある中で、他者への美しい心を持ち続けて

いたのですね。

亡くなったお顔が、神々しいほど美しかった訳が

わかりました。

このお話を、ふっと思い出すだけで心が浄めれて

いくのを感じます。

これは、初女先生からの贈り物なんですね。

この「美しい話」、私は一生忘れないと思います。

悲しくてどうしようもない時、苦しくて前が

見えなくなった時、この「美しい話」を

思い出そう、きっと心を照らしてくれる筈だから…

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瞑想の花コンサート

2016-11-06 23:56:19 | 日記

昨日は盛りだくさんの一日でした。

姜尚中さんの講演会に行き、夜は田口ランディさん

ウォンさん上畑さんの「瞑想の花」コンサートへ

瞑想のピアニストと呼ばれるウォンさんに

導かれ、瞑想のコンサートが始まりました。

疲れていた心が、目覚めたような気がしました。

詩を語るランディさんの声が、静かに心に

降りて来るのです。

私たちは情報の渦の中を生きているのだから

瞑想し、精神をリラックスし深い呼吸をしないと

酸素のない金魚鉢にいるようになってしまうなと

思いました。

体と心がゆるやかに漂っているような、素敵な

コンサートでした。

最後は、ランディさんが撮った瞑想の花の写真の

映像とウォンさん・上畑さんの音楽が奏でられる

というクライマックスだったのですが、

会場のお寺の天井に設置されているスクリーンが

降りてこないのです。

2~3回、お寺の方がスイッチを入れたり消したり

してましたが、いなくなり住職さんが来られたので

何とかしてくれるのかなと思ったら、

実に落ち着いて「無理です」の一言

いや~さすが悟っている方は違うと、感心して

しまいました。

天井に写し出された映像を観て、ランディさんが

「これじゃ、プラネタリウムじゃん」と…

その声を聞いて、みんな体をひねって折り曲げて

天井を向き、自力プラネタリウムにしたのです。

体はあちこち痛いのに、心はリラックス

こんな格好で音楽を聴いたのは初めて

な~んか楽しくて気持ちよくて体は痛いのに

宇宙を漂っているようでした。

最高でした~「瞑想の花」コンサート!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初女さんのお料理

2016-11-04 23:53:29 | 日記

「大根でもね、皮をむくと痛いでしょ?

擬人法ではないけれども、野菜を切るときも

人と接するような気持でやっていますよ」

初女さんの本の中で、今日この言葉と出会いました。

こういう思いを持って、調理されていたんですね

だから、あんなに美味しかったんだ…

「調理する心っていうのは、

その人の生きる姿そのものが、

そこに出てきます。

できたものに対して結果が出てきますから

自分で判断できるわけですね。

そしてまた反省して、そこを直していくんです。

            佐藤 初女    」

初女さんは、調理しているときは、真剣そのもので

殆ど沈黙。余計なおしゃべりは一切しません

でした。

初女さんがいると、台所は神聖な場所となりました。

私が、初女さんの後ろからじーっと見ていると

初女さんは、そんな私に気が付いて

「食べる?」と、味見をさせてくれるのです。

あの時の嬉しさが、私の中にまだ残っています。

初女さんのお料理を作るとき、

初女さんを感じることができます。

人と接するような気持で食材と向き合って

いたんですね、初女さんは…

すごいな~

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする