No,84
フェルナン・クノップフ、「マルグリット・クノップフの肖像」、19世紀ベルギー、象徴主義。
象徴主義の画家は、人間の心の暗部と言うものに結構触れてくれるので、つい見てしまうね。
これは、女になりたい男の心が、あらわれている。モデルは画家の最愛の妹らしいが、画家はモデルから彼女自身を奪い、自分が彼女になってしまっている。
女であり、最愛の妹である、マルグリットに、彼はなりたかったのだ。
男には、こういう気持ちがあるね。女を愛するあまりに、愛する女そのものになってしまいたい。クノップフはそういう自分の気持ちを、絵に表現したわけだ。
彼は彼女を乱暴に犯すわけではない。殺してその肉体を奪うわけではない。象徴主義の表現の中で、魔法的に、自分とかのじょを重ね合わせ、絶妙なところで、かのじょを奪ったのだ。現実でやっては猟奇殺人になることを、架空の世界で欲求を満たしたのだともいえる。
彼女そのものに変身した自分と言うものが、どういうものであるかということを、この絵は教えている。美しいが、どこかさみしい。虚ろだ。いるように見えるが、絶対にいない。静寂の中に強烈な背徳がある。
マルグリットが目をそらしているのは、画家の本心に気づいているからだ。
芸術とはこういうこともできるものだ、ということだ。おもしろいね。
フェルナン・クノップフ、「マルグリット・クノップフの肖像」、19世紀ベルギー、象徴主義。
象徴主義の画家は、人間の心の暗部と言うものに結構触れてくれるので、つい見てしまうね。
これは、女になりたい男の心が、あらわれている。モデルは画家の最愛の妹らしいが、画家はモデルから彼女自身を奪い、自分が彼女になってしまっている。
女であり、最愛の妹である、マルグリットに、彼はなりたかったのだ。
男には、こういう気持ちがあるね。女を愛するあまりに、愛する女そのものになってしまいたい。クノップフはそういう自分の気持ちを、絵に表現したわけだ。
彼は彼女を乱暴に犯すわけではない。殺してその肉体を奪うわけではない。象徴主義の表現の中で、魔法的に、自分とかのじょを重ね合わせ、絶妙なところで、かのじょを奪ったのだ。現実でやっては猟奇殺人になることを、架空の世界で欲求を満たしたのだともいえる。
彼女そのものに変身した自分と言うものが、どういうものであるかということを、この絵は教えている。美しいが、どこかさみしい。虚ろだ。いるように見えるが、絶対にいない。静寂の中に強烈な背徳がある。
マルグリットが目をそらしているのは、画家の本心に気づいているからだ。
芸術とはこういうこともできるものだ、ということだ。おもしろいね。