No,96
サンドロ・ボッティチェリ、「誹謗」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。
ボッティチェリが続く。昨日の絵とはまるで違うね。これはサヴォナローラ以後に描かれた絵だが。あのみずみずしい感性が失われている。観念性が強く、人間的な構成が少々窮屈だ。古代画家アペレスの絵を再現させたというが、後の象徴主義なども思わせるテーマだ。
同じ画家とも思えない絵だが、彼の絵が前半と後半で全く違って見えるのは、実に興味深い原因がある。実は、ボッティチェリの人生をやっていた本人の霊が、途中でほかの人間の霊とバトンタッチしたんだよ。わたしとかのじょと、同じようなものだ。事情は少し違うがね。
ボッティチェリの前半と後半で絵ががらりと違うのは、やっている人間がそもそも違うからなのだ。もちろん、前半のボッティチェリのほうが技術面でも精神面でも高い成長をした魂であることはわかる。前半の魂は、ある事情が生じて、その人生を続けることができなくなったのさ。だから途中で違うやつと変わったのだ。
こういうことは、そう珍しいことではない。普通の人間でも、よくあることだよ。
しかしこの絵は、彼の後半の画業の中では最もよい絵である。人間の暴虐を端的に表現してくれている。無実の人間を大勢で嘘をついて罪に落とす。人間の馬鹿がよくやることをそのまま表現してくれている。
半裸の若者の姿で表現された「無実」を、「誹謗」がひきずっている。それを「欺瞞」と「嫉妬」が飾っている。玉座にいる「不正」の耳に、「猜疑」と「無知」がささやいている。「誹謗」の腕をとっているのは「憎悪」だ。
背後では老婆の姿をした「後悔」が、裸体の女性の姿をした「真実」を振り返っている。
このばかばかしい人間の芝居沙汰を、背景の彫像たちがあきれて見下ろしている。
おもしろいね。言いたいことはひしひしとわかる。
人間のドラマがここにある。
サンドロ・ボッティチェリ、「誹謗」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。
ボッティチェリが続く。昨日の絵とはまるで違うね。これはサヴォナローラ以後に描かれた絵だが。あのみずみずしい感性が失われている。観念性が強く、人間的な構成が少々窮屈だ。古代画家アペレスの絵を再現させたというが、後の象徴主義なども思わせるテーマだ。
同じ画家とも思えない絵だが、彼の絵が前半と後半で全く違って見えるのは、実に興味深い原因がある。実は、ボッティチェリの人生をやっていた本人の霊が、途中でほかの人間の霊とバトンタッチしたんだよ。わたしとかのじょと、同じようなものだ。事情は少し違うがね。
ボッティチェリの前半と後半で絵ががらりと違うのは、やっている人間がそもそも違うからなのだ。もちろん、前半のボッティチェリのほうが技術面でも精神面でも高い成長をした魂であることはわかる。前半の魂は、ある事情が生じて、その人生を続けることができなくなったのさ。だから途中で違うやつと変わったのだ。
こういうことは、そう珍しいことではない。普通の人間でも、よくあることだよ。
しかしこの絵は、彼の後半の画業の中では最もよい絵である。人間の暴虐を端的に表現してくれている。無実の人間を大勢で嘘をついて罪に落とす。人間の馬鹿がよくやることをそのまま表現してくれている。
半裸の若者の姿で表現された「無実」を、「誹謗」がひきずっている。それを「欺瞞」と「嫉妬」が飾っている。玉座にいる「不正」の耳に、「猜疑」と「無知」がささやいている。「誹謗」の腕をとっているのは「憎悪」だ。
背後では老婆の姿をした「後悔」が、裸体の女性の姿をした「真実」を振り返っている。
このばかばかしい人間の芝居沙汰を、背景の彫像たちがあきれて見下ろしている。
おもしろいね。言いたいことはひしひしとわかる。
人間のドラマがここにある。