No,86
アントネッロ・ダ・メッシーナ、「受胎告知のマリア」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。
これは美しいマリアだが、何とも硬い女性だね。顔以外はないようだ。肉体の香りがない。これは、恋をしようにもできない女性だ。
しかし男はこういう女性を描き続けている。聖母マリアのイメージは強烈だ。
男はマリアを追いかけ続けている。なぜ男は女を追いかけるのか。それは女が、すぐにいなくなるからだ。なぜいなくなるのか。それは男が、女におまえが必要だと言わないからだ。だから女はそれならと、すぐに離れて行く。
だが男はそうあっさりとあきらめられない。いつまでも未練をひく。そこであらゆる手段を使って女を捕まえようとする。時には暴力的にやる。殺す。挙句の果てに女を地獄の底に引きずり落として、汚いものにしてしまう。すると男は、汚くなってしまった女がいやで、マリアのような決して汚れない女を作り、それを追いかけるのだ。
堂々巡りだ。いつまでもいつまでも、男は、いもしない女のしりばかり追いかけている。そのために、あらゆる馬鹿なことをしてしまう。
もうわかるね。なぜこの世がこんなにも苦しくなってしまったのか。
男が、好きな女に、帰ってきてくれと言えなかったからだ。
ただそれだけのことだ。
汚れなき聖母マリアは、男の理想というより、悲哀そのものだよ。
アントネッロ・ダ・メッシーナ、「受胎告知のマリア」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。
これは美しいマリアだが、何とも硬い女性だね。顔以外はないようだ。肉体の香りがない。これは、恋をしようにもできない女性だ。
しかし男はこういう女性を描き続けている。聖母マリアのイメージは強烈だ。
男はマリアを追いかけ続けている。なぜ男は女を追いかけるのか。それは女が、すぐにいなくなるからだ。なぜいなくなるのか。それは男が、女におまえが必要だと言わないからだ。だから女はそれならと、すぐに離れて行く。
だが男はそうあっさりとあきらめられない。いつまでも未練をひく。そこであらゆる手段を使って女を捕まえようとする。時には暴力的にやる。殺す。挙句の果てに女を地獄の底に引きずり落として、汚いものにしてしまう。すると男は、汚くなってしまった女がいやで、マリアのような決して汚れない女を作り、それを追いかけるのだ。
堂々巡りだ。いつまでもいつまでも、男は、いもしない女のしりばかり追いかけている。そのために、あらゆる馬鹿なことをしてしまう。
もうわかるね。なぜこの世がこんなにも苦しくなってしまったのか。
男が、好きな女に、帰ってきてくれと言えなかったからだ。
ただそれだけのことだ。
汚れなき聖母マリアは、男の理想というより、悲哀そのものだよ。