No,100
アーニョロ・ブロンツィーノ、「アレサンドロ・デ・メディチ」、16世紀イタリア、マニエリスム。
マニエリスムの絵画は、どこか陰った光があるね。ルネサンスの余光はあるが、どこかに不正をにおわせるものが漂う。時代がだんだんと腐ってきたからだろう。
アレサンドロ・デ・メディチは、あだ名を「イル・モーロ」という。「ムーア人」という意味だ。その浅黒い肌の色からつけられたらしい。
アレサンドロはフィレンツェを支配していたメディチ家の最後の頭首であった。ロレンツォ二世・デ・メディチの庶子ということになっているが、本当は教皇クレメンス七世(ジュリオ・デ・メディチ)が枢機卿時代に黒人奴隷との間に作った子だということである。
こういうことはよくある。名門の家に起きた、愚かなセックスの落とし子だ。
人間は自分のルーツというのをよく気にする。自分の父と母が誰なのかと言うことは、とても大事なことだ。王と王妃の間に生まれた皇太子のような、正当な愛とセックスの中で生まれた子ほど、幸せなものはない。
この青年は、自分の出自に、生涯苦しんだのだろうね。その肝をひねられてちぎられるような苦悩が、顔に現れている。
馬鹿は金と権力を持つと、暴力的にセックスをむさぼり始めるのだ。その結果がこれだという絵だよ。
枢機卿と黒人奴隷の子だという噂に、彼は生涯苦しめられたろう。
何をやっているんだろうね、男は。
アーニョロ・ブロンツィーノ、「アレサンドロ・デ・メディチ」、16世紀イタリア、マニエリスム。
マニエリスムの絵画は、どこか陰った光があるね。ルネサンスの余光はあるが、どこかに不正をにおわせるものが漂う。時代がだんだんと腐ってきたからだろう。
アレサンドロ・デ・メディチは、あだ名を「イル・モーロ」という。「ムーア人」という意味だ。その浅黒い肌の色からつけられたらしい。
アレサンドロはフィレンツェを支配していたメディチ家の最後の頭首であった。ロレンツォ二世・デ・メディチの庶子ということになっているが、本当は教皇クレメンス七世(ジュリオ・デ・メディチ)が枢機卿時代に黒人奴隷との間に作った子だということである。
こういうことはよくある。名門の家に起きた、愚かなセックスの落とし子だ。
人間は自分のルーツというのをよく気にする。自分の父と母が誰なのかと言うことは、とても大事なことだ。王と王妃の間に生まれた皇太子のような、正当な愛とセックスの中で生まれた子ほど、幸せなものはない。
この青年は、自分の出自に、生涯苦しんだのだろうね。その肝をひねられてちぎられるような苦悩が、顔に現れている。
馬鹿は金と権力を持つと、暴力的にセックスをむさぼり始めるのだ。その結果がこれだという絵だよ。
枢機卿と黒人奴隷の子だという噂に、彼は生涯苦しめられたろう。
何をやっているんだろうね、男は。