No,95
サンドロ・ボッティチェリ、「春」部分、15世紀イタリア、初期ルネサンス。
かのじょはボッティチェリが好きだった。このように、美しい少女や花をちりばめた少女らしい絵が好きだった。
元からそういうやつなのだがね。実に、男にしては、少女っぽいものが好きだ。これを言うと本人は嫌がるのだがね。
わたしなどは、智謀策謀などが結構好きだ。人の嫌がることもけっこうやるよ。馬鹿にきついお目玉をくらわすのもお手の物だ。男と言うものは、汚いことやずるいことができるということも、使えるカードとして、常に用意しておかなければならない。
まあ、そういうカードを出さねば、できないことも、あるからね。
だが彼はまるでそれができない。まっすぐにきれいにやりすぎる。それで好きなものと言えばこれだ。美しい。かわいい。楽しい。どこまで透き通っても、奇麗なものしか見えない。
これが女性でなくてなんだというのだ。いや、これを言うと本人は嫌がるのだが。
見てみたまえ。まるのまま、美しい。裏などない。そのまま美しい。普通こんな絵を描くと、その陰に汚いものを隠しているという感じがつきまとうものだが、この絵だけには全くそれがない。
かのじょの好みそのものだ。
ボッティチェリは後に、サヴォナローラに執心してこのみずみずしい表現力を失うのだが、この絵は本当に美しいね。これ以上の美人を描ける画家はいないだろう。
ただ、美しい。それのみの絵と言えば、これくらいというものだ。
サンドロ・ボッティチェリ、「春」部分、15世紀イタリア、初期ルネサンス。
かのじょはボッティチェリが好きだった。このように、美しい少女や花をちりばめた少女らしい絵が好きだった。
元からそういうやつなのだがね。実に、男にしては、少女っぽいものが好きだ。これを言うと本人は嫌がるのだがね。
わたしなどは、智謀策謀などが結構好きだ。人の嫌がることもけっこうやるよ。馬鹿にきついお目玉をくらわすのもお手の物だ。男と言うものは、汚いことやずるいことができるということも、使えるカードとして、常に用意しておかなければならない。
まあ、そういうカードを出さねば、できないことも、あるからね。
だが彼はまるでそれができない。まっすぐにきれいにやりすぎる。それで好きなものと言えばこれだ。美しい。かわいい。楽しい。どこまで透き通っても、奇麗なものしか見えない。
これが女性でなくてなんだというのだ。いや、これを言うと本人は嫌がるのだが。
見てみたまえ。まるのまま、美しい。裏などない。そのまま美しい。普通こんな絵を描くと、その陰に汚いものを隠しているという感じがつきまとうものだが、この絵だけには全くそれがない。
かのじょの好みそのものだ。
ボッティチェリは後に、サヴォナローラに執心してこのみずみずしい表現力を失うのだが、この絵は本当に美しいね。これ以上の美人を描ける画家はいないだろう。
ただ、美しい。それのみの絵と言えば、これくらいというものだ。