◇安吾生誕百年
今年は坂口安吾生誕百年とか。表題の本はフランス文学者にして小説家、
エッセイスト出口裕弘の評伝である。
(1,500円 新潮社)
読後感。一言で言ってありきたりの評伝と異なり、坂口安吾に対する思い入
れが迫ってくる。かといって単なる安吾礼賛ではない。辛口の評価が随所に
あり、面白い。
筆者出口は、坂口安吾という、どうしようもない異端児(同時代の作家、太
宰治、石川淳、織田作之助らと並び「無頼派」と称せられた。)を旧制高校生
のころ発表された「堕落論」、「白痴」などで初めて接し、興奮、感激し、以降
安吾のファンとなり、作品はすべからく目を通しており、いわば安吾のすべてを
知り尽くした「追っかけ」的存在である。安吾生誕百年に当たり、「正面から
安吾にぶつかってみようと心に決めて」取り組んだ評伝である。
安吾の小説、散文など全作品を時系列で読み比べ、振幅の大きい心的軌
跡を解明しようと努めている。作品の裏に隠れた背景を探るために生地新潟
市寺尾も訪ねている。
安吾は島崎藤村も谷崎潤一郎も志賀直哉もだめな作家、それどころか万
葉集も古今集もダメと日本文化、文人をこきおろす。徹底的に。その安吾
が書いたまともな小説は昭和14年から23年頃までの作品で、それ以降の
ものには乱雑な文章ばかりではないか。と筆者は言っている。この頃安吾は
薬物の虜となって暴力沙汰で警察の厄介にもなっている。
そんな安吾が、ようやく「新日本地理」のような散文に活路を見出しかけた
矢先突然脳出血で急死する(1955年享年49)。
「異邦人にして賢者、挫折者にして悪魔」とはこの本の腰巻の惹句である。
五回も自殺未遂を繰り返した太宰治とはまた違ったタイプの無頼派。激情に
駆られ見境もなくワッと書いてしまう。「過激誠実派」というのが著者出口の冠
した「正体不明の文学者」坂口安吾である。