読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

北国街道を歩く(2)

2013年05月01日 | 里歩き

小諸宿から田中宿
  日の出は5時25分。浅間山の裾野に陽が上がった。

      

  天気予報では今日は午後から天候が急変し雨・雷・竜巻の荒れ模様とのこと。
  予定の時間を繰り上げて8時前にホテルを出発した。
  市町(いちまち)から新町に向かう。大きな布引観音の道標があるが、何の気もなしに道
 なりに左に曲がってしまった。

      

  右手の小高い丘に墓所があり、「おれが死んだらこんなところに葬ってもらいたいなあ」
 などとのんきなことを考えていたら道がどんどん下っていく。あわてて地図を見直して完全
 に街道とは違う道を進んできたことを知り、急いで引き返した。この間往復15・6分時間
 をロスした。なぜ間違えたかといえば、北国街道が道路工事中で通行止めの標識が出て
 いたからだ。

      

  幾分登り坂を上って広い国道18号バイパスに出た。右手には芦原中学がある。
  みすぼらしい青木一里塚跡があった。
  「第一北国街道踏切」を渡り、国道18号を越える。       

         

  街道はほぼ国道沿いに進む。車の往来も少ない。今日は土曜日なのに人っ子一人
 見えない。
  やがて国道18号に出る直前、5層の屋根を持つ異様な古民家風の建物が現れた。
 入口に「たかこの布あそび」とある。どうやら民芸ワークショップらしい。

  この辺りの民家でよく見かける様式。屋根の上に「気抜き」という子屋根がある。昔養
 蚕が盛んだったころ、蚕室の温度管理のために家屋内で火を焚きその煙抜きや温度
 調節のために設けたものである。

         

  宿場でなくともなかなか立派な家が多い。なかには門だけは立派という家も見かける。

         

   

  滋野郵便局の先に「牧野(ぼくや)一里塚跡」があった。

     
 
  この地は江戸時代の力士「雷電為衛門」(21年間に254勝10敗という)の生地で、大きな
 石碑が建っている。碑文は佐久間象山が書いたというが、この石を欠いて呑むと出世したり、
 勝ち運が巡ってくるといういい加減な迷信が広まって碑文はすっかり消えてしまっている。そ
 のため明治になって新しくちゃんとした石碑が傍らに立っている。

 あまり見かけない土蔵らしき建物を見つけた。
 また街道筋に特有の出し桁造りの家を見つけた。
  突然頭の上から「こんにちは」びっくりした。上は小学校の校庭だった。躾がよいので誰も会え
 ば「こんにちは」という。大人も子供も。日本もまだ捨てたものではない。

 「こんにちは」子等の笑顔や佐久の道

         

  ひたすら進むと田中の宿場。いきなり立派な広い舗装道路に出た。田中宿の中心部である。
 脇本陣跡とあるお店(瀬戸物屋さん)があった。本陣は奥の方にあるらしい。民家の敷地に門
 だけが残っていた。
  馬に乗ったお地蔵さん。勝軍地蔵というらしい。この辺りに一里塚があった。

         

  (以上この項終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする