◇『眩(くらら)』 著者:朝井 かまて 2016.3 新潮社 刊
第140回直木賞(2014)受賞作家朝井かまての作品。浮世絵師の頂点に立つ葛飾北斎と
その三女葛飾應為榮女(作中は「お栄」)の生涯を描いた。もちろん主役はお栄。北斎や
その弟子だった善次郎、母の小兎など作中登場の江戸っ子たちの応酬が歯切れよく、文章
もテンポよくすいすい読める。浮世絵・版画の世界をよくここまで調べたと思う。巻末に
多くの参考文献をあげてあるが、『日本画―画材と技法の秘伝集』などを読んだだけでこ
こまで絵の世界における色と光と影の関係を書けまい。
「描きすぎては野暮になる。写実が過ぎては絵が賤しくなる。緑は一つではない、根本と
葉先では色が違う。背景や空間も絵の一部。・・・」浮世絵はもちろん、日本画、油絵な
ど西洋画に共通する絵の世界に共通する課題や技法など、お栄の苦吟に仮託して丁寧に
説明されていて感心する。
北斎が90歳まで生きた長命の絵師であったことは知られているが、その作品に三女の
お栄が大きく係わっていたことは知らなかった。芸術家の御多聞に漏れず、美人ではな
いが、酒が好き煙草も喫う、料理はできないが岩絵具は自分で作り、四六時中絵のこと
ばかり考えている。かと思えば、一度は親の言うがままにつまらない絵師と結婚し結局
出戻るなど、結構いろんなことを経験している。しかしお栄が生涯気ままな天才肌の父
北斎に寄り添い、富岳三十六景の誕生などに貢献してきたことがよくわかる。
少女時代から知っている善次郎への恋心、その恋人への嫉妬、初めて善次郎と肌を合
わせたときのおののきが束の間の幸せ。幼子のころから面倒をかけ、生涯不始末の尻拭
いをしてきた出来の悪い甥時次郎との腐れ縁も、敢えて目をつぶろうとするお栄。人あ
しらいは不器用であるが根は人が良いお栄なのである。
そんな60を過ぎて、はたと着想がひらめき生まれたのが終生の傑作「吉原格子先之
図」。
「命が見せるつかの間の賑わいこそ、光と影に託すのだ。そう、眩々するほどの息吹を
描く。」(p342)
「吉原格子先之図」を見て武家の養子になった弟崎一郎がつぶやく。
「姉上は、すごい絵師だったんですね」
あたしは、どこにだって行けるのだ。どこで生きても、あたしは絵師だ。
お栄は踏み出した。
(以上この項終わり)