◇『神様のカルテ』
著者: 夏川 草介 2011.6 小学館 刊
とにかく心がほっこりする作品である。
主人公の栗原一止は信濃大学医学部を出た内科医師で純粋無垢な働き者の好青年(本
人申告)。夏目漱石を敬愛し、愛読書が『草枕』なので、話し方もつい古風な物言いに
なって周囲からは変人扱いされている。
勤務先の信州松本市の中規模の総合病院「本庄病院」と栗原医師夫妻の住むアパート
「御嶽荘」が物語の主たる舞台であるが、御嶽荘に住む二人の変人(栗原医師も変人の
一人)との日常の交流が綴られる。
いずれにしても栗原医師はもちろん、その妻榛名、同僚の外科医師砂山、アパートの住
人学士殿と男爵殿、看護師の東西さん、外村さん、水無さん。患者の安曇さん、田川さん
など登場する人物の誰も彼もがいい人なのである。悪意のある人物が一人もでてこない。
学士殿は抜群の博覧強記を示すが、実は大学受験に失敗し高卒のままであった。郷里の
母を悲しませないために、大学院博士課程で勉強中としたまま8年になった。その母が先
頃亡くなってしまった。自責の念に沈み慟哭する学士殿を「学問を行うのに必要なものは、
気概であって学歴ではない。熱意であって体裁ではない」と気合を入れる栗原医師。
男爵殿と榛名さんは御嶽荘に桜の絵を描きつくし学士殿を郷里に送り出す。
こんな話で心和むのである。
また、胆のう癌の安曇さんが語った亡き夫へのオマージュに満ちたエピソード「小さな
天狗」さんの話がいい。ひじょーに良い。
もちろん地方病院とはいえ、というかだからこそ医師不足のせいで不眠不休の連続勤務
を強いられ、使命感だけを頼りに働いている勤務医の実態を訴えること、重篤患者への思
い、快方に向かった患者を見る喜びなど、医師、看護師の在りようを訴えることも忘れて
はいない。
末期がんの安曇さんが亡くなった。死亡診断書を書いた栗原医師は慟哭する。自分の判
断は果たして正しかったのか。去来するこの数日間の自分の下した判断。
ベッド上安静の患者なのに極寒の屋上に連れ出して雪の山並みを見せたこと、消化器出
血なのに本人が食べたいといったカステラを食べさせたこと、急変時に輸血をせず見守っ
たこと。
単に命を長らえさせることだけが医療なのか、生きる命の意味を問う選択の瞬間である。
おそらく延命治療の選択の場に立ち会う医師は、患者の一生に思いをいたし、人間とし
ての尊厳を念頭に究極の選択をしなければならないというのが、おそらく医師でもある作
者の真意ではなかろうか。
「川をせき止め山を切り崩して新邁進するだけが人生ではない。そこかしこに埋もれる
大切なものどもを丁寧に丁寧に掘り起こしてゆくその積み重ねもまた人生なのだ。」
巻末の栗原医師の人生訓である。
作者の作家デビュー作。『新章 神様のカルテ』、『神様のカルテ 2』などシリーズ化。
(以上この項終わり)