◇『親不孝長屋』
著者:池波正太郎 平岩弓枝 松本清張 山本周五郎 宮部みゆき
20015.7 新潮社 刊 (新潮文庫)
世話もの時代小説に定評のある作家五人衆のアンソロジーである。
いずれも江戸時代の庶民の哀歓を描いた傑作である。とりわけ最
終に置かれた<神無月>(宮部みゆき)が一番と思う。山本周五郎
の<釣忍>もよかった。
<おっ母、すまねえ>池波正太郎
生さぬ仲の息子市太郎を可愛がって育てたおぬい。夫が死んで再
婚したが市太郎は新しい父になつかず、グレ出した。かつての職場
岡場所の朋輩お米は”殺し”を勧めるのだが…。おぬいは心の臓の発作
で死んでしまう。それがきっかけで市太郎は立ち直って親父の煙管
職仕事に精を出すようになった。
「おっ母のおっぱいを、ほかの男にはやりたくなかったんだ」市
太郎は継母の墓前で述懐するのだった。
<邪魔っけ>平岩弓枝
母が死んで祖父と二人で豆腐作りに精を出すおこう。弟と二人の
妹を食べさせるのが精一杯だった。婚期を逃し今や二十歳も半ば。
妹たちはおこんが結婚しないから自分たちが割を食って…などとむ
くれる始末。そんなおこんの前にかつて大店の若旦那で今は落魄の
身にある長太郎が現れた。おこうは「本当の苦労とその悲しさ」を
長太郎に訴える。長太郎はおこうと二人で家業を立て直そうと決心
する。
おこうが結婚し家を出ることになったら弟も妹たちも父親を助け
家業の豆腐屋仕事に精を出すようになった。
本当はおこうは邪魔っけではなかった。
<左の腕>松本清張
深川の料理屋松葉屋に二人の親子が働くようになった。おあきと
夘助という父娘は陰ひなたなく働くので店では喜んでいた。
夘助はなざか左腕肘下に白い布を巻いていた。店に出入りする癖
の悪い目明し麻吉が不審に思いしつこく絡みつく。
或る夜松葉屋に押し込み強盗が入った。松葉屋で賭場が開かれて
いて、目明しの麻吉も客の一人だった。身柄を囚われた人たちを救
いに現れた卯吉を見て賊の頭が驚く。「あっ、蜈蚣(むかで)の兄
い」。卯吉は20年ほど前は名を知られた仕事師だったのだ。
今は囚われの身になっている麻吉に卯吉は言う。「歳を取ってめ
っぽう気が弱くなっていたが、もう迷いが切れた。この男は十手を
持ってる人間だが、その十手は弱い者を餌食にしている道具だ」
”外の雨の音が強くなって、屋根を叩いた。”
この最後の一行は読者に何かを訴えているか。余韻はあるか。
<釣忍>山本周五郎
今はしがない棒手振りの定次郎は実は表通り越前屋の後妻おみち
が産んだ子だった。先妻の子長兄の佐太郎が暖簾を分けてもらい別
に店を持つと言ったとたんに乱行が始まり、ついに勘当された。
今は元芸妓のおはんと何不自由ない生活を送っている。
そこにある日気弱になったおみちが定次郎に戻って欲しいと言い
出して、佐太郎がしつこく迫ってくる。根負けしたか定次郎は勘当
取り消しの親族会議に出向くが、そこで啖呵を切る。「おふくろも、
兄貴も世間体がいいだろうが、俺は兄貴を追い出して越前屋に座り
込んだ、財産を横取りしたと世間に言われるだけだ。義理を知らね
え恥知らずだと言われる俺のことを、ただの一人でも考えてくれた
者があるか」と息巻く。ついに佐太郎とおみちは改めて定次郎を勘
当すると言い立てた。
釣忍は長屋で幸せに暮らしているおはんと定次郎の生活を象徴す
る小道具である。
<神無月>宮部みゆき
年に一回だけ盗みを働く畳職人。それは神無月に生まれた生来病
弱な身体を持った娘のためだった。
不思議と神無月に起こる事件に不審を抱き頭を巡らせている岡
っ引きがいた。
神様が全員出雲に集まって目配りが手薄になるので盗っ人の仕事
がやり易い。そんな神無月に娘は病身で生まれてきた。
娘に作ってやる”おてだま”の小豆を懐に仕事に出かける盗人。決
して多くは盗らないせいぜいが十両。手口も同じ。岡っ引きは推理
する。昨年珍しく金貸の家で向こう気の強い息子がいて刃物沙汰に
なった。これ以上歯止めがきかなくなる前に辞めさせねば、と岡っ
引きは覚悟する。
大工なら家の作りには明るい。もしかして畳職人では?
娘のために最後の大仕事を踏む畳職人の盗人と、これ以上仕事を
させまいとする岡っ引きがともに夜道を駆ける。
人情ものの極みである。
(以上この項終わり)