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読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

山口瞳・世相講談を読む

2011年04月18日 | 読書

世相講談(上・中・下) 著者:山口 瞳 2008.1論創社刊

  前から一度は読んでみなきゃと思っていた本。何しろ山口瞳先生の最高傑作とされるのが
 この『世相講談』。初出は「オール読物」(1966~69)。文芸春秋、角川文庫でも出している。
 もちろん新潮社から出した『山口瞳大全』にも入っている。

  御存じのように山口先生は大正15年の東京生まれであるが、旧制第一早稲田高等学院を
 中退し、一時父の工場で旋盤工として働いていた。終戦後複数の出版社で働くことになる。
 大学を出ていないコンプレックスを指摘されたり、師事していた高橋義孝氏に勧められたこと
 もあって、国学院大学文学部に入り卒業する。その後1958年に寿屋(今のサントリー)に入る。
 ここで宣伝誌「洋酒天国」の編集者・コピーライターとして活躍することになる。
  やがて1962年に『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞。その後作家として独立、次
 いで79年に『血族』で菊池寛賞を受賞する。
  著書は多数あるが、63年から始めた週刊新潮の連載『男性自身』は31年間続き、一度も休
 載しなかった。最後は肺臓がんで亡くなった。享年68。

  『江分利満氏の優雅な生活』は直木賞受賞で騒がれた。吾輩も少々この作風にかぶれて、尾
 塚真平なるペンネームで社内文芸誌に『江藤庄助の優雅な生活』などと、もじり小品を書いた
  ほどだ。その後映画にもなった。
  菊池寛賞の『血族』は自らの両親の生い立ちなどを主題にした作品であるが、『世相講談』の
 方は上・中・下とも各18篇が収められ、この時代の一般庶民の生き様つまり世相が活写されて
 いる。そこにはそれぞれの悲哀、失意、高揚、諦観、矜持、滑稽、陰惨、開き直りの人生がある。
  山口先生は野球・将棋・競馬に造詣が深く、野球は自分もやっていたし、将棋はプロ棋士を目
 指したほどの腕前、競馬も賭けごとの一つとして相当詳しい。マージャンに至っては小学校5年
 生のころから打っていたというプロ級。世相講談にはこうした趣味、賭けごとの話がふんだんに
 出てくるし、執筆取材をしたとはいえバスガイド、バーテンダー、運転手、旅館女将、葬儀屋、質
 屋、スポーツ誌フリーライター、元野球選手、按摩・・・とにかく数多の市井の職業人の生々しい
 姿を独特のタッチ・スタイルで生き生きと描き出しているところが何とも言えずいい。とくに「太閤
 持ち」、「青蛙」などはいい。

  独特のタッチ・スタイルとはなんだといえば、一篇として同じ語り口はないというほど作品の中身
 に即したスタイルを工夫していること。またその語り口たるや、ルビ一つとっても例えば、「飲み代
 は会社持ち(オヤカタヒノマル)」、「矮小肉体美(トランジスタガール)」、「小生(アタクシ)」、「請求書(カキツケ)」
 等々、ルビが先にあって、そこに漢字をあてはめたのだなということがありありの面白さがある。
 ひどいのは本文に「?」とあって、「オヤ」というルビが振られていたりする。

  31年間一度も休載がないということは大変なことだと思うが、世相講談には何度となく「書けない」
 時の苦吟が出てくる。「あたし駄目なんです。また出たんです、鬱病が・・・」、「書けない。書くことがあ
 るのに書けない・・・。」、「頭は呆っとして、考えが定まらない。」・・・。
  山口氏は酒が好きで、糖尿病にもなるのだが、書けないときは飲みに出かける。奥さんが良く出
 来た人で進んで飲みに出してやるところがある。いずれにしてもこのように書けないことも作品の
 中身にしてしまうところが作家のすごいところだと思う。

    

    (以上この項終わり)
   
   

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