◇幸福度指数ナンバーワン・バヌアツ
「バヌアツ」?
ご存知でしたか?南太平洋の島国。
柏市国際交流協会(KIRA)の国際理解委員会所属の柏市議K氏に誘われて、「フレンドシップ部会」主催の
講演会に参加しました。
「南太平洋の楽園・バヌアツ共和国について」
講師はJICA(独立行政法人:国際協力機構)の「シニア海外ボランティア」の一員として2004年から2年間
バヌアツ国の商工会議所で支援活動をされた白鳥貞夫氏。同世代ながら仕事柄もあって、五大陸諸国、米国
50州、日本47都道府県、日本百名山を征服されるなど身体頑健でバイタリティ溢れる、頼もしい偉丈夫シニア
でした。
(JICAのボランティア事業としては「シニア海外ボランティア」の外「海外青年協力隊」がよく知られています。)
(講演中)
◇バヌアツ共和国とは
昔(1966年)森村桂の「天国に一番近い島」という本がベストセラーになった。南太平洋のニューカレドニア
がその島だとされたが、「バヌアツ共和国」はそこからやや赤道より(南緯15度近辺)にある。映画「南太平洋」
のモデルとして知られる。それより太平洋戦争での激戦地ガダルカナル島(ソロモン諸島)の南隣の島といった
方が分かりやすいであろう。
(バヌアツの位置は)
真珠湾攻撃の翌年には米軍はバヌアツに十万の大軍を送り込んでソロモン諸島に進出する日本軍を待ち構
えていたという。(バヌアツの人たちがアメリカ軍と接した様子は白鳥氏のホームページ「バヌアツ通信」の「バ
ヌアツ人の戦争体験」が面白い。)
日本軍が泥沼の戦いで、なすすべもなく、完膚なきまでに叩かれたガダルカナル島の隣が、今世界でもっと
も幸福度の高い国とされているという皮肉こ戸惑わざるをえない。
「国民の人生満足度」に「平均寿命」を掛け合わせ「環境負荷レベル」で割った数値を「国民幸福度指数」と名
付けランク付けすると(英国シンクタンク「NEF」発表)、ナンバーワンは「バヌアツ」。日本は178国中95位。
ちなみに世界の大国アメリカは150位、最下位はアフリカのジンバブエ。
(バヌアツの平均寿命は68.6歳(2006年))
もっともこの幸福度指数は、資源を乱費して快適な生活を手に入れた西洋文化圏の人が、反省の意味を込めて
本当の幸福とは何かを問い直すために考え出したものといえなくはない。西洋文明を垣間見たバヌアツの人は
「おれたちは幸せとは言えないよ」というかもしれない。
何しろ食料はふんだんにあり、食うに困らない(この辺はアフリカの内陸国とは大いに違う)。白鳥氏は面白い方
で「できちゃった農業(種を蒔かなくても作物ができる)」、「獲れちゃった漁業(海へ行ったら魚が獲れた)」と表現
していた。また、心配事がない。一般の、普通の人は外部情報を得る手だて(新聞・TV・郵便・電話など)がない
ので他の文明社会と比較することがない。したがってストレスがない。着るものはいつもどこでも腰箕だけでいい
ので、余計な心配をしなくともよい。車など環境負荷の大きいものがない。等々羨ましい面が多々ある。
(講演の中で流れた画像)
人口はおよそ21万人。80余の島々(火山列島)に110ほどの種族が住む。陸地を合わせても新潟県ほどの面
積。最大の島はEspirituSantoであるが、Efate島に首都Port-Vilaがある。首都のあるエファテ島に全人口の
1/4が住んでいる。大半が先住民で、外国人は2,000人程度で旧共同統治国の英・仏のほか中国・ベトナム人。
英仏語が公用語であり、豪州英語がベースになったビスラマ語が共通語として用いることになってはいるがまだ
十分浸透していない。種族ごとに独自の言語があるらしいがその文字はない。
パプア・ニューギニアといえば食人族が話題になるが、ここバヌアツも種族抗争の末、勝者は敗者種族の族長を
食べることによって勝者の証を立てる習わしであったが、1969年を最後に食人儀式の記録はないという。
◇バヌアツの歴史
どうやらバヌアツ人はモンゴル系とアフリカ系の混血らしい。その証拠にバヌアツ人には蒙古斑がある。肌が
黒いのにどうして蒙古斑がわかるか。彼らも生まれた時は色白で、空気に触れて次第に黒くなるのだという。
お産婆さんに聞いた話ということなのでほんとだろう。これは新しい知識で聞かなければわからない。
日本人とルーツが同じせいかどうか知らないが、伝承民話には「浦島伝説」、「竹取物語」、「因幡のしろうさぎ」
「羽衣伝説」に似たものがあり興味深いとのこと。(白鳥氏の「バヌアツの民話」参照)
バヌアツに初めて接触した西洋人はポルトガル人のペドロ・フェルナンデス・デ・キロスと言われている。
その後フランス・イギリス人が入ってきたが天然資源に乏く余り興味をひかなかったようであるが、香料の白檀が
発見されて一時賑わった。白人が持ち込んだ疫病や人狩り(奴隷化)などで、一時100万人を数えた人口も20
世紀初頭には4万人程度まで減ったという。
ドイツ人が植民的支配に乗り出し始めた19世紀半ばに英仏は共同統治に乗り出した。第2次大戦後畜産のた
めの放牧場化などで白人の収奪的土地買収が進み、トラブルが表面化して独立機運が高まり、的英仏の主導
権争いが水面下であったものの、1980年7月30日独立を果たした。現在は小党乱立の不安定な連合政権なが
ら比較的政情は安定しているという。
◇ 終わりに
1時間半程度の講演の後、更に1時間半も参加者から多くの質問が続きました。第二次大戦後急速に国際社
会の仲間入りを進めた国の持つ悩み・問題点について興味が尽きないのは当然です。
教育の義務化など教育システム。教師の確保。医療体制。先住民自身の起業化。外国人の食生活。統治機構
の問題等々話題は尽きませんでした。
白鳥さんは事業経営の指導が役割で商工会議所に派遣されたことから、現場が自分の仕事を考えるという方
法論を伝えるために「品質管理」を説明したそうです。「ろくに産業もないところで「品質管理」が役立ったんです
か」と質問がありました。方法論なので役所の仕事にも役立つと講演を求められたそうです。アメリカ生まれの品
質管理論ながら、日本が独自の手法で発展を遂げて世界標準となった標準化など「品質管理」野考え方がバヌ
アツで根付くことを願ってやみません。
白人が入り込んで貨幣経済が持ち込まれた。独立も果たした。教育も義務化して金銭でやり取りすることが増え
て、何とかしなければならないと余計な心配が増えたようです。白鳥さんはバヌアツを去るにあたって、この国が
自分たちの手で産業をつくりだし育てていくには、どんな分野でどんな手立てがあるだろうか考えました。先進国
型の金儲けの手法ではなく、人間味豊かなバヌアツ型のビジネスモデルを創って、人類幸福のお手本にして欲し
いと願ったそうです。
(以上講演でのお話と白鳥氏のWebページを参考に綴りました。)
(以上この項終わり)
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とても興味深い話でした。
文明に毒された連中が、良かれと思っったとしても、余計なことをしない方がいいのでは、と思いました。