【明日は成人の日。しかし本日挙行するところが多いね。】
今は、大昔となりにけり。
僕、まっちゃんが成人式を迎えたのはもう30数年前だ。
その頃は「成人の日」は確か、1月15日だったよね。
我が3人の子どもも、とっくに成人式は過去のものだ。
それなのにどうして?今ごろ自分の成人式の記事なのか。
書類棚で探しものをしていたら、一冊の冊子が出てきた。
和歌山県発行の「はたちの主張」。という冊子。
発行は昭和○○年3月31日。古~っ。あっそうでした。
まっちゃんの時代、市町村によって数え年と満年齢で
成人式を迎える年齢が違ってました。我が町は数え年。
まっちゃん、18歳の9月。何気なく見た県の広報紙。
「はたちの主張・原稿募集」の文字。「こんなのあるの?」。
その程度。でもその頃から好奇心だけは旺盛のまっちゃん。
人生のひとつの節目だし、応募だけでもしてみるか。
何々原稿用紙何枚。きっちりの枚数限定。困難。
でも、挑戦。得意?の3部形式と決めて。さてと、
一部は、私生活さらけ出し、お涙頂戴物語。
二部は、地域の青年団体活動での田舎の活動様子。
三部は、新成人になるにあたっての抱負。
1日で書き上げて、受付である町の教育委員会へ提出。
はい一件落着。もうそのことはすっかり忘れてました。
一ヶ月ほど経ったある日、まっちゃんに電話があった。
「もしもし、まっちゃんですか!。」(担当者)
「はいそうですけど、何か、、、?」(まっちゃん)
「あなたの応募した作品が入選して、県代表2人東京で
開催される『青年のつどい』に参加していただくことに
なりました。ご都合よろしいですか?」(担当者)
「エーッ、、、。は・はいお願いします。」(まっちゃん)
入選?びっくり。でも東京。行きたい。おのぼりさん感覚。
3日ほどして、県から詳細と行程表が送付されてきた。
入選作品転載しても良いんだけど、、、。
あまりにも私生活さらけ出しだからね。書き出しだけ。
「僕は現在、農業に従事しています。しかし正確に言うと
午後3時までなのです。、、、。」
※午後3時以降は、、、、。?
後は書けないわ。ほんとにお涙頂戴物語なんですわ。
読者の想像にお任せいたします、です。
東京の『青年のつどい』。総理府主催でしたわ。
今の天皇陛下御夫妻(当時は皇太子御夫妻)のご臨席。
まっちやんの横の席。びっくり。おもわず仰天しそうでしたわ。
その頃、祖母も生存していて、まっちゃんに内緒で
東京に住む従兄弟に連絡してた。彼からホテルに突如電話。
しかし、まっちゃん。県の職員の方の引率で来た身。
その方の寛大なお心で、行事終了後。私は従兄弟との
自由時間となりました。その後の記憶の方が鮮明だわ。
日劇(今は勿論無い)での
「天地真理とドリフターズ」のショー。
その後、新宿の末広亭へ。
「林家三平さん」ほんまに目の前。
すごいわ、東京って。
彼の家で一泊。翌日、東京駅で県の方と合流。
和歌山へ帰り県庁行き。何と知事室に通されあいさつ。
この世とは思えぬ、別世界の3日間でしたわ。
これが私、まっちゃんの成人式でしたわ。
だから、地元の成人式には出てないだけど、
次の年から、グループ・アルプスの光として
地元の成人式のアトラクションでコンサートするなんて
それも12年続けて出演するなんて考えもしなかったわ。
人生って何が起るか分からないわな。
そう、その従兄弟もすでに他界。40代で突如ね。
お葬式には行けなかったけど、1ケ月後上京する機会が
あって仏壇にお参り。彼の奥さんの言葉。
「欲しいものあったら持って帰ってね。」彼の書斎へ。
実は、彼の仕事知らなかったんだ。何と本だらけ。
某農業新聞の編集者だったんだ。「原稿の書き方」とか
諸々、貰ってきちゃった。その時、分かったんだ。
まっちゃんの書いた原稿が入選。親戚が東京へ来た。
その関係の仕事をしていた彼。喜んでくれてたんだね。
お互い無口な性格でね。その時彼の心、知る由もなかった。
【取り敢えず、其の壱は終わり。明日、其の弐に続く。予定】