台風がまた全国的に爪痕を残して過ぎ去りました。
ウチの周辺では幸い雨は傘が要るほどの量は降らず、多少地面が濡れている程度。
風が台風の通過と共に東南から吹き戻しの北西へと方向を変えて、かなり強いままで
防災警報は《暴風警報》だけ発令されましたが、それも8時半には解除となりました。
農村部の祭の幟(ノボリ)は竿が縮み半分の長さで風に千切れそうになり提灯(チョウチン)は必死にしがみついて、稲穂には風の神様の通られた道が轍(ワダチ)のようになっています。
でもやっぱり大和盆地は災害に強いゾーンだと、いつも認識を深められます。
大阪、淀川というと昔から今のように流れていたように思われがちですが、本来は今の
大川と中津川・神崎川の流れを淀川と呼んでいて明治43年(1910)に毛馬洗堰が完成
して新淀川を淀川とする流れになりました。
大川(旧淀川)は天神橋で北の堂島川と南の土佐堀川に流れを分けてさらに土佐堀川は
片や横堀川や道頓堀川と分かれ、片や中之島を越えたところでまた堂島川と並んだり
安治川・木津川と枝分かれしたりして水都大阪・八百八橋と呼ばれたように支流が多く
舟での交通・運搬手段が栄えた時期がありました。
その毛馬洗堰(閘門)から少し大川を下ったJR桜の宮駅西口の源八橋を渡ったところに
近畿中国森林管理局があります。
JR桜の宮駅西口から西南に帝国ホテルが聳え立つのが見え、源八橋の手前で近畿中国
森林管理局が見えて来ます。
この帝国ホテルの向こう側に財務省造幣局があり日本の通貨のコインが造られる場所で
あり、春の桜の通り抜けで有名な名所としても知られています。
その近畿中国森林管理局で5日、「水都おおさか森林の市2014」が開催されました、
その昔は淀川を滋賀や京都の材木が、南は大和川を下って奈良・吉野の木材がやって
来て河口から大阪湾に沢山浮かべられていた時期もありました。
平成19年以降「水都おおさか森林の市実行委員会」が主催者となり、「森林の市」を開催
してきて、平成25年度からは「水都おおさか森林づくり・木づかい実行委員会」に名称を
変更し、近畿中国森林管理局が事務局を務めています。
森林や林業にふれる体験型イベントとして丸太切り体験やクラフトコーナー、木製品の
展示・販売など多くの団体が参加されました。
体験コーナーは何処も子供たちを中心に賑わっていました。