降るかも知れないという予報を裏切って雨粒はありませんでしたが気温は32℃、湿度68%と
蒸し暑いのには変わりない1日に。
今日は現場仕事はお休みさせてもらって見積などの作業をさせてもらいました。
実は要介護4の義父に老人保健施設に月に2回程度、1週間程度のショートステイに行って
もらっています。
それは要介護1の義母の老老介護負担を減らすためなんですが、1週間ほどしたら帰って
来る義父は自分の目もかなり衰えて耳もほとんど聞こえていないだけにジッとしていてくれれば
良いのに頭と口とだけは達者で、細かいことをグヂグヂと何度も勝手に言うものだから、義母が
少々鬱状態になっていて、食事があまり摂れずにガリガリの体重も30Kgを切っている状況。
義弟夫婦とウチでチョクチョク様子を見に行って掃除などもしているのですが、23日の土曜日に
妻が様子を見に行ってみるとちょうど、ベッドとトイレの3mほどの途中でヘタリ込んでいたようで
すぐに医師と連絡を取って診てもらい、急遽義母も検査入院静養してもらうことになって、少々
私的にバタバタしていました。
義父はタマタマショートステイに行ったところだったので、義母が退院してこれるまで少し延長
してもらうことになりました。
とりあえずは一安心と言うところですが、ウチも義弟のところも車だと実家まで45分もあれば
行ける距離。
私の両親は他界してますから専念できますし、義弟のお嫁さんの実家もお父さんは他界し
お母さんはお兄さんが同居しているので、ワリと世話をしやすい環境にあります。
まあみんなそれぞれ仕事を持っているので調整しながらですけどね。
でもねぇ、自分がもし同じような状況になったとしたら ・・・
長男は江戸だし、二男は大阪だけど結婚の予兆もない。
この二人には見てもらえるアテも毛頭ないし、かといって毎日がやっとの生活だから他人様に
お世話になる余裕なんてとてもとても。
思わず、1970年3月25日にリリースされたいしだあゆみのシングル曲を思い浮かべました。
中学卒業して高校入学直前でした。
「あなたならどうする」 ため息が出ましたね。
元気ならいいけれど老いてまで長生きはしたくない。
母は66で亡くなりました。
まだまだ若めでふっくらしていましたから、そのイメージしか残っていません。
叔母がいつも「義姉さんは誰もが思い出しても若いまんまの良い時に逝った。」と悔しがる。
叔母は85歳なんですが「声だけは元気だけれど身体はボロボロでしんどい。」とボヤく。
父は79歳で逝きましたが4か月前までは家でジッとしている人ではなくて、西国33か所や
四国88か所の観音霊場も何度も回り、外国にこそ行かなかったものの国内はほとんど
網羅したような人でした。
考えてみると、今居る孫がハタチになったとき自分は80歳です。
その孫の成長も見たいし二男の嫁や孫も楽しみだけど、そして75歳ぐらいまでは仕事や
趣味もしていたい。
けど、老いた姿で疲れ切った姿は見られたくないから、そんな風になったら人知れず
姥捨て山に一人で篭りたいと、良い場所が無いかといつも今から気にかけています。
でもまあ奥さんの面倒だけは責任あるから見ないといけないなぁとも考えています。
今の時点ではいずれ必ず来る死についての恐れはありません。