「それから」 は、1909年(明治42年)6月27日より10月4日まで、東京朝日新聞・
大阪朝日新聞に連載されていた夏目漱石の小説。
あれからと言ってこの3月だと、やっぱり 3.11 東日本大震災。
あと2日で丸2年。
どう見ても地震のパワーだけ見ると阪神・淡路大震災の方が強かったように思うけれど
その後の津波の被害が大きかった。
復興に頑張っている姿と、津波に流されたまま手つかずのままの沿岸地帯との差が
大きくて痛々しいようにも感じる。
阪神・淡路大震災は倒壊と火災による被害が多かったので、人口密度も住宅密集度も
高かった割に復興が早かったように思う。
東日本大震災も津波と原発の影響以外の場所はそこそこ復興しているようだが
人口密度も住宅密集度も低い割に安全が確保できないのが障壁になって一向に
復興が進まないままだし、避難・疎開したまま戻れない。
時間的な間に新潟県中越沖地震があったのに、家屋の倒壊などが比較して少なかった
せいか? 地元以外では語られにくくなっている。
防災の日は1923年(大正12年)のこの日に起きた関東大震災の教訓を忘れない、
という意味で9月1日とされているけれど、既に今年で90年。
当時の恐ろしさを語り伝えられる人はもうほとんど居ないのではないだろうか。
東・南海トラフ巨大地震がいつ起きても不思議ではない昨今、相変わらず北関東から
東北地方にかけて単独なのか余震なのか不明な、不安を増長させる地震が続いて
落ち着かない。
内閣府 南海トラフの巨大地震モデル検討会が平成24年8月に発表した津波浸水域
および津波高がYahoo地図に載せられている。
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我らが海無し県・奈良は津波こそないけれど地滑りの可能性や活断層の地割れなどの
心配は拭えない。
阪神・淡路大震災は地元のことで復興にも一肌脱いだ経験からも心の中で風化することは
無い。
でも、あんな恐怖は一日も早く忘れたいと思っていてトラウマになって忘れられない人も
多いのは悲しいこと。
残念ながら東日本大震災の記事についてのネット検索数はかなり減っているようです。
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被害を受けた方達、亡くなった人たちの為にも風化させずに早期復興を願いたいものです。
先日のシャンソン・歌謡歌手 クミコ さんのコンサートでは先の四国・香川県での黄色い
ハンカチ一言運動を受け継いで、大阪・和泉市でのホールでも休憩時間などを利用して
石巻に持っていくハンカチに一枚一言を募集されていました。
きっとつながる
そのほかにも僕がファンの女優の太田 在さんなどもずっと募金を募って届けておられます。
外国の企業なども通常の支援と共に記録モニュメントの建設にも支援金を寄贈してくれています。
ただ津波に流されずに残った陸前高田市の「奇跡の一本松」
モニュメントとして復元され、特殊な樹脂で作った枝葉のレプリカが幹に取り付けられて
いたのが、幹に差し込む接続部分が曲がったまま固定されていたことが分かり、市は今月22日に予定していた一本松の完成記念式典を延期しました。
同じ「高田市」として復興支援に募金をしたものとして・・・ 市役所がやるべき復興事業は
もっと他に在るのではないか? 義援金の使い方をちょっと間違えているのではないか?
疑問を抱いたのは僕だけではないのでないでしょうか?
ね、同じ高田市3市の住民さん?