リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

岐路 (4)

2005年06月04日 03時26分30秒 | 随想
 その年の7月はいつになく冷夏ですごしやすかった。おかげで受験勉強も順調に進めることができた。採用試験の当日はよく晴れていたが試験会場がある県庁所在地の駅は二、三日前の豪雨で冠水したため線路や枕木に泥が沢山残っていた。試験は市内の高等学校で行われたが、テスト自体はさほど難しいものではなく、また幸運にもいくつか張っていたヤマが当たった。そのお陰もあり私は無事教員採用試験に合格することができた。1975年4月、私は晴れて英語教師として県庁所在地のZ市から車で30分ほどの田舎の中学校に赴任した。かろうじて自宅から通えるところではあったので、約1時間半かけて通うことにした。そのために親からお金を借りて360ccの軽自動車を買い、それをZ市の駅前に置いておき、そこからはその車で学校まで通った。朝は6時前に起き、自宅に帰るのはどんなに早くても7時前という勤務で私の生活は激変した。当初の思惑とは異なり、楽器を練習するための時間は、一日のうちで物理的に数時間以上は無理だった。こういう状況は、後に自宅近くの学校に転勤した後もずっと続き、結局在職の28年間ほとんど変わらなかったように思う。音楽をずっと続けていくということは、時間との戦いということだった。