教師になって2年目、1976年の夏に私は初めてヨーロッパに渡った。まだ海外旅行がめずらしかった頃で、職場の方々にはいろいろ配慮して頂いた。出発の日の昼には、職員一同集まり一緒に昼食をとり、歓送会までして頂いた。まだ地域の社会教育力があり、生徒の問題行動もほとんどなかった時代だからこそできた話しで、今だったら一新米教師の渡欧のための昼食会など、いくら昼休みの休憩の時間のこととはいえまず不可能だろう。何もかも余裕のあった時代だ。
その日の夕方、リュートを含めた沢山の荷物とともに私は新幹線に飛び乗った。その日は東京に泊まり、翌日ソウル・アンカレッジ経由の大韓航空便にのることになっていた。東京では友人のYさんに夕食をおつきあい頂いた。彼はアマチュア・リュート奏者の草分けで、当時すでにオリジナル資料の蒐集では定評があった方だ。彼のご厚意で翌日も都内の宿から羽田まで車で送って頂いた。
その日の夕方、リュートを含めた沢山の荷物とともに私は新幹線に飛び乗った。その日は東京に泊まり、翌日ソウル・アンカレッジ経由の大韓航空便にのることになっていた。東京では友人のYさんに夕食をおつきあい頂いた。彼はアマチュア・リュート奏者の草分けで、当時すでにオリジナル資料の蒐集では定評があった方だ。彼のご厚意で翌日も都内の宿から羽田まで車で送って頂いた。