リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

作曲家筒美京平、作詞家松本隆

2020年10月13日 10時50分59秒 | 音楽系
作曲家の筒美京平さんがお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。私は歌謡曲は好みではありませんが、氏の作品は歌謡曲っぽいけどポップスに近く、音楽として洗練された感じがしました。1976年に初めてヨーロッパに行った帰りの便、南回りで20数時間かかりましたが、その間ずっと氏と松本隆さんの作品「木綿のハンカチーフ」を聴いていたのを今でも覚えています。

帰途パリでオーバーブッキングをくらい3日後のチューリヒから出発した大韓航空の機内は退屈で退屈ですることがなく、音楽もロクなのがなかった中、「木綿のハンカチーフ」はとても美しくこれだけは聴きごたえがありました。

この曲の作詞は松本隆氏ですが、実は私、氏にデビューを進められたことがありました。某テクノ音楽雑誌が募集する作品コンテストで、私が宅録で制作したポップミュージックが入賞しました。40年近く前のことです。入賞と言っても3番手か4番手あたりだと思います。「審査員は見る目(聴く耳)がないなぁ」なんて思って過ごしていたある日、突然一通の少し厚めの封書が届きました。

差出人は松本隆、読んでみると「あなたの作品は典型的なニューミュージックでとても好ましい。もしデビューするのなら、できうる限りお手伝いをさせてもらうがどうか?」という内容でした。とてもうれしく思いましたが、ただ結婚して子供が生まれたばかり、硬い仕事にもついていました。デビューするということはそれらをすべて捨てることになります。

それにリュートも弾いていたいし。私はリュート音楽を窮めたいし、家庭もあるのでということで、お断りしました。ヴァイスの録音も添えて…今思うと流行作曲家のセンも悪くないですねぇ。成功していたかどうかはわかりませんが。

これ、ウソみたいな話でしょ?でも本当の話です。ただ証拠となる手紙が残っていないので、お得意のヨタ話じゃない?って言われるのがオチでしょうけど。(笑)

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4 コメント

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Unknown (やまねこ)
2020-10-13 12:42:54
こんにちは。

いやあ、私も「木綿のハンカチーフ」という曲、好きでしたねえ。
歌謡曲、のちのニューミュージックというジャンルは好みでないものが多いのですが、いくつかには見るべきものがあり、曲や詩の美しさ、情景を思い起させるような説得力があるものがあります。
それと歌い手さんの声の透き通るような美しさに惹かれたものです。

あの頃、車というものにカッコよさを求め、愛のスカイラインも流行りましたね。まさにドンズバ世代です。
お金も無いのに、見栄を張り、女の子にモテたい一心で表ずらだけカッコつけたもんです。車いじりに夢中になりヤンチャしたことも・・・・。

あれから云十年、年月が過ぎ、すっかり昔の写真のような面影なくオヤジ然とした姿に・・・。
 歌にもありましが、昔は私は髪を長く伸ばしていました。すこし勤務した就職のために髪を切った時に、俺もついに月給取りかと胸を張ったのも束の間、
辞めてしまいました。
散々の紆余曲折の末、やっとこさ自分の商売を見つけ今に至ります。

歌謡曲、この木綿のハンカチーフなど聴くと、もう戻らない若さ、時間というものの短さ、人生のはかなさ、いろんな事を走馬灯のように思い起されます。

 そういえば、最近のJ-popというんですかね、心を揺さぶるような歌が無いですね。
 私はバロックリュートに出会えたことを本当に嬉しく思います。
これだけは飽きることがないというのも、まさに人心に訴える確かな魂があるからではないかと思うのです。
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re (nakagawa)
2020-10-13 13:16:02
木綿のハンカチーフは、機内で聴き過ぎたせいか飛行機から降りてから今に至るまでもう聴くことはありませんでしたけどね。(笑)
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Unknown (やまねこ)
2020-10-13 13:38:00
でも、もったいないですねえ、
先生はメジャーデビューのチャンスだったのではと思います。
やはり先生の音楽的センス、キレは若い時分から変わらないのだと思います。
人間、どんな運というか、人のご縁で成功への道に乗るかと思うと不思議な気がします。
 前向きに頑張っていれば、誰かが見ていてくれるという人がいますが、本当なのだと思います。
縁というものは大切にしたいと思いました。
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re (nakagawa)
2020-10-13 22:19:40
そのときは単にお断りをしたくらいにしか思っていませんでしたが、その後さらに著名になる松本さんの影響力を考えると、実は大きな選択をしていたのだということが今になってわかります。
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