久々のダウランド、Flow my teares
第1パートの繰り返しのつづきになります。
No nights are dark enough
どんな夜であっても暗いとは言えない
ここは特に問題はないでしょう。
for those that in dispaire their last fortunes deplore,
絶望の中にあって運命の末期を嘆く者にとっては
関係代名詞節はまるでドイツ語のように倒置されています。普通の英語の語順だと、
for those that deplore their last fortunes in dispaire になります。
dispaire は現代英語ではdespair になります。
light doth but shame disclose
光は恥辱を露わにするだけだ
doth は現代英語ではdoes、動詞の意味を強調します。butはonlyの意味(~するだけだ)です。現代語でもbut が only の意味になることはありますが。分全体はやはり倒置されています。現代式に言うと、
light does only disclose shame
になります。動詞の目的語を先に持って来るような倒置をすると、昔の英語(ダウランドの時代の英語でも充分昔ですが)の感じがして古っぽくなり格調が高くなるんだと思います。私はネイティブじゃないので今ひとつぴんとは来ませんが。
第1パートの繰り返しのつづきになります。
No nights are dark enough
どんな夜であっても暗いとは言えない
ここは特に問題はないでしょう。
for those that in dispaire their last fortunes deplore,
絶望の中にあって運命の末期を嘆く者にとっては
関係代名詞節はまるでドイツ語のように倒置されています。普通の英語の語順だと、
for those that deplore their last fortunes in dispaire になります。
dispaire は現代英語ではdespair になります。
light doth but shame disclose
光は恥辱を露わにするだけだ
doth は現代英語ではdoes、動詞の意味を強調します。butはonlyの意味(~するだけだ)です。現代語でもbut が only の意味になることはありますが。分全体はやはり倒置されています。現代式に言うと、
light does only disclose shame
になります。動詞の目的語を先に持って来るような倒置をすると、昔の英語(ダウランドの時代の英語でも充分昔ですが)の感じがして古っぽくなり格調が高くなるんだと思います。私はネイティブじゃないので今ひとつぴんとは来ませんが。