リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

運命の分かれ道?

2024年04月13日 20時20分45秒 | 日々のこと

今朝、玄関前の植え込みに水をやっていましたら、はす向かいにお住まいのおばあさんから懐かしいことを尋ねられました。

「あんたのお父さん、タカシさんと言う人とヒロシさんという人がおるけど、どっちがほんとなん?」

私の父親は24年前に他界しています。そう言えば近しい人はタカシと呼んでいましたが、戸籍上はヒロシです。実はこのことについて生前に話をきいています。

父は1919年5月に生まれタカシと名付けられました。ところが戸籍上は12月生まれになっていて名前もヒロシになっていました。それが分かったのが召集令状の赤紙が送られてきたときです。生まれた月によってどこの戦線に送られるかが決まっていたようで、5月生まれの人は南方に送られ多くが戦死したそうです。

父は12月生まれで満州に送られました。関東軍の国境警備隊で狙撃手をやっていたそうです。縁日の射的が構え方からして違っていて妙に上手でしたがそのせいなんでしょう。射的の鉄砲はタマがまっすぐに飛んでくれないとぼやいてはいましたが。

満州、ソ連の国境は1945年8月9日ソ連の侵攻まで戦闘はありませんでしたが、たまたま父はそのとき別の離れたところに出張に行っていたため戦闘に巻き込まれることはありませんでした。でも運が良かったのはここまで。この後シベリア抑留の憂き目に遭い昭和25年になってやっと帰国できました。

出生届を受けた役所がいいかげんな仕事をしたため戸籍上の名前も生まれつきも変わってしまいました。多分どなたか別の人と取り違えたのでしょうか。でもそのおかげで兵隊になっても戦闘に巻き込まれることはなかったわけです。でもそのためにシベリア抑留です。どちらがよかったかのか。南方戦線に行っても生き延びていたかもしれないし、シベリア抑留で命を落としたかもわからないし。

はす向かいの家のおばあさんは長年の疑問が溶け納得したご様子でした。