リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

今年は異変が!

2024年04月20日 19時04分45秒 | 日々のこと

我が家に隣接する自然野草苑は、例年ですとドクダミが青々とした葉を着けてくる頃です。当ブログのタイトルピクチャーは最盛期を迎えたドクダミです。

今年はドクダミの生息域が3分の1くらいになり代わりに多種多様な植物が生育してきています。異変は昨年にもその兆候が見られましたが、ことしは更に成育域が減少しています。

苑全体の4分の1の70%位にしかドクダミは育っていません。

花が咲いてきれいな植物もあるので、何本かちぎって一輪挿しにさしてみました。

Picuture Thisというアプリで調べてみました。花びらが5枚の黄色い花はオッタチカタバミです。同じく黄色で大きなラッパ状の形の花をつけているのは多分キイロカタバミ。アプリに写真を保存したはずですが、残っていないので記憶だけがたよりなので間違っている火も知れません。薄紫色の花は、自然に生えているときはもっと長い茎で風にそよそろゆられながら生えていました。マツバウンランという植物だそうです。

昨年から始まった多様化が今年はもっと進んでいる感じです。ドクダミがどこまでもりかえすかが見物です。ドクダミの天下だったころは立ちの高い草は絶対に生えなかったのですが、昨年はドクダミが生えていないところに立ちの高いヒメムカシヨモギやオオアレチノギクが生えてきました。

こういうのが生えてくると景観を害しますので注意してちょっとでも見つけたら大きくならないうちにひっこぬかないといけません。


なんじゃこれは!?

2024年04月19日 17時45分45秒 | 日々のこと

ちょっと所用で住民票が必要になったのでマイナンバーカードを持って市役所に出かけました。市役所はウチからは車で5分とかからないところにあります。

入り口から左手すぐのところにマイナンバーカードを使って住民票などを発行する機器が置いてありました。さて、申請しようかと前を見たら、何この文字・表示の大群!!

これだけ表示されている文字が多いといったいどこから見ていいのかわかりません。必要な情報を掲示するのは大事なことですが、これは冗長すぎかつノイズが多すぎます。まるでどっかの都心のネオン街の看板みたい。

実はこの写真の下に機器のディスプレイがあって、そのガイダンスに従って無事完了しました。ディスプレイの表示内容はとても整理されていて分かりやすかったのですが、その上にずらっと書かれている説明書き、分かっている人はもちろん、こういう機器に不慣れな人はもっと訳がわからなくなるのではないでしょうか。

最後に住民票発行料200円を入れてください、とディスプレイに表示されましたが、お金を入れる場所が見当たりません。お金を入れる場所は左のコピー機にしかなかったので、多分ここだろうとは思いましたが、もし違っていたら返金が面倒になるかも知れないので、役所で案内をやっているおじさんにききましたら、やはりこのコピー機に入れるとのことでした。

メタバース市役所も結構ですが、まずは足下から。頼んますわ、徳宇市長さん。

 


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(8)

2024年04月18日 14時39分18秒 | 音楽系

某愛好家会は違法コピー音源、違法コピー楽譜頒布会、さらには悪質楽器販売会になっていてまことに不適切でした。今はその会がどういう活動をしているのか知りませんが、さすがに今の時代、ちゃんとしているのでしょうか。

大英図書館でヴァイスのMS-30387(いわゆるロンドン写本)は無料公開されているし、セズネ写本も所蔵図書館から無料で入手できます。あるいはTREE EDITIONも創業者の遺志で無料公開されています。しかしそれらは真摯な研究者、演奏者、愛好家のためのものであり、駄々草に弾きちらかす人たちのために無料公開しているのではありません。

そうそうこんな経験がありました。「中川さん、リュートの楽譜が手に入ったからコピーを差し上げますよ」と言われて頂いた楽譜がなんと私が出版した「ドレスデン手稿本によるヴァイス・リュート曲集(加筆修正版)」の1ページだったのです。どうしてそれが分かったのかというとまず、まずどっかで見たことのあるシミの消し方(笑)でした。それに加筆修正した箇所が私のと同じ、それとページの数字がタイプライターの印字で私の本と同じページだったからです。そう、初版はまだタイプライターが使われていた頃に作り始めたのでした。しかしどういう経路で私のところにまわってきたんでしょう?


F60の車検完了

2024年04月17日 11時44分54秒 | 日々のこと

四日市の検査場でF60のミニの車検を受けてきました。

この景色は40年前のままです。そのうち建物も新しくなるのかしら。

検査ラインの前で待っています。写真はこの先はNGです。車検は本番より緊張しますねぇ。(笑)待っている間に理由を考えてみましたが、車検は検査してもらって合否の判定をしてもらうからじゃないでしょうか。コンサートには合否はないですから。自分がいい、あるいはわるいと思ったらそれまでで、人にとやかく言われる筋合いはありません。

今回はちょっとトロいミスをしてしまいました。サイドスリップなどを検査してもらう箇所に速い速度で入りすぎたので、前方にある指示ディスプレイから何も言われず先に進んでしまい、後退してやり直すはめになりました。後続の車にバックしてもらい少し迷惑をかけてしましました。時速4km以下でという表示は見ていたのですが、それ以上出ていたみたいです。

再検査して合格しましたが、検査票のスタンプは不合格印が。これは一大事です。もう一度検査ラインを通らなくてはならないのではと思いまた検査ラインに戻って並んで待っていましたら、検査官のお兄さんが来て、すでに通っているので一番左のラインを通過して検査室で終了の判子をもらってくださいとのことでした。まぁそうですわな。

最後は車検シールを右端に貼ります。昨年度から添付位置が変わっています。

検査証の貼り方剥がし方はここ40年で改善され、10何年前からは前回の検査証が剥がしやすくなっています。それまではなかなか大変。そもそも剥がしにくく、剥がしても紙や糊が残りそれをぞうきんできれいにして・・・でしたが、ここ何年かはプラスチック製に変わり簡単に剥がれるようになりました。ただ、貼るときに頂いたシールを山折り谷折りしてガラスに貼れるようにする作業をしなければなりませんが、これが見ただけではよくわかりません。(1年に1回だけですからなかなかおぼわりません)一応説明が裏面に書いてあるのですが、なんでこれを作業する面に書いてくれないのかなぁ?まぁそのうち改善されるでしょう。でも40年の進化は微々たるものでしたので、貼り方改革はあと2,30年はかかるかも。


明日は車検

2024年04月16日 12時39分26秒 | 日々のこと

F60のミニ・クロスオーバーの車検を明日の第1ラウンド(8:45受付)で予約してあります。今回は2年点検簿をディーラーさんから頂きましたので、書類作成の手間が半減しました。まぁもともと大した分量ではありませんが。

ユーザー車検を始めたのが1984年7月30日でホンダ・シビック・カントリーという車で受検しました。検査ラインを通すのが結構ややこしかったので、忘れないようそのときにマニュアルを作っておきました。それを見てみますと今は随分シンプルになったのがわかります。もうラインを通すためのマニュアルは不要でしょう。

当時の経費のメモがありました。重量税が25200円、自賠責32650円、光軸調整700円、書類代80円、手数料1200円とありました。

前回のF60の経費を見てみますと重量税が20000円です。F60の方が昔のシビック・カントリーよりずっと重いのに安くなっています。自賠責は今回は17650円でかなり安くなりました。これは年々下がってきているのは分かっていましたが、昔は高かったんですねぇ。光軸調整は、最近は車検場に併設されている民間のサービス工場におねがいしていますので、3300円です。書類代は20円値上がりして100円、手数料は1000円の値上がりで2200円です。

自動車関連は税金を一杯取られるのであくどいことばかりしていると思っていましたが、こうして比べてみると物価変動も考慮すると意外に良心的?な面もあることがわかりました。今回は40年前と比べると重量税・自賠責の値下がり分で、24ヶ月点検の経費が浮いた勘定になります。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(7)

2024年04月15日 13時14分23秒 | 音楽系

現在2005年改訂版を再版するつもりはもうありません。というのも原版製作からすでに40数年経っていて傷みが激しいからです。実は2005年版はキンコーズに製作を依頼しましたが、もう第三者に頼むのは難しいでしょう。

自家用にコピーすることはありますし、デジタイズすることもあります。でも特にデジタル版を作って販売するつもりはありません。Scribd(有料サイトです)などで加筆修正版はすでに入手可能ですし(少し問題はありますが)、それに有料で私が販売してもすぐにコピーが出回ってしまうでしょう。

特に年配のリュート愛好家の中には楽譜をコピーしまくる習性のある方がいらして、何でもタダで手に入れようとする。CDはコピーするし、ファクシミリ出版されたタブもコピーして他の仲間に配布してしまう。

この間までやっていた「不適切にもほどがある」というTVドラマがありますが、昔は不適切な人が多かったのです。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(6)

2024年04月14日 12時36分12秒 | 音楽系

この写本を入手したマイクロフィルムで見たり70年代(多分)に出版されたカラー版のファクシミリ(スコラの図書館で見ました)を見た限りでは、字がかすれていているところやタブの六線がきちんと見えないところ、あるいは汚れがひどくて字が見えなかったり、紙に穴があいているところがあったりでかなりひどい状態です。

それをできうる範囲で加筆修正したのが、私の自費出版した版です。でも汚れがひどくマイクロでは真っ黒になっていたり穴があいているところはそのままにしておきました。

それらを修正というか再現するつもりはなかったし老後の楽しみにとっておこうと思っていたのですが、何を思ったか2005年にそれをする気になり、改訂版を制作しました。初版で修正しなかった箇所を「2005年版における追加注」として巻末にまとめ、ついでに各楽曲の「5段階による技術的難易度の目安」もつけておきました。これが2005年改訂版です。


運命の分かれ道?

2024年04月13日 20時20分45秒 | 日々のこと

今朝、玄関前の植え込みに水をやっていましたら、はす向かいにお住まいのおばあさんから懐かしいことを尋ねられました。

「あんたのお父さん、タカシさんと言う人とヒロシさんという人がおるけど、どっちがほんとなん?」

私の父親は24年前に他界しています。そう言えば近しい人はタカシと呼んでいましたが、戸籍上はヒロシです。実はこのことについて生前に話をきいています。

父は1919年5月に生まれタカシと名付けられました。ところが戸籍上は12月生まれになっていて名前もヒロシになっていました。それが分かったのが召集令状の赤紙が送られてきたときです。生まれた月によってどこの戦線に送られるかが決まっていたようで、5月生まれの人は南方に送られ多くが戦死したそうです。

父は12月生まれで満州に送られました。関東軍の国境警備隊で狙撃手をやっていたそうです。縁日の射的が構え方からして違っていて妙に上手でしたがそのせいなんでしょう。射的の鉄砲はタマがまっすぐに飛んでくれないとぼやいてはいましたが。

満州、ソ連の国境は1945年8月9日ソ連の侵攻まで戦闘はありませんでしたが、たまたま父はそのとき別の離れたところに出張に行っていたため戦闘に巻き込まれることはありませんでした。でも運が良かったのはここまで。この後シベリア抑留の憂き目に遭い昭和25年になってやっと帰国できました。

出生届を受けた役所がいいかげんな仕事をしたため戸籍上の名前も生まれつきも変わってしまいました。多分どなたか別の人と取り違えたのでしょうか。でもそのおかげで兵隊になっても戦闘に巻き込まれることはなかったわけです。でもそのためにシベリア抑留です。どちらがよかったかのか。南方戦線に行っても生き延びていたかもしれないし、シベリア抑留で命を落としたかもわからないし。

はす向かいの家のおばあさんは長年の疑問が溶け納得したご様子でした。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(5)

2024年04月12日 14時12分25秒 | 音楽系

自費出版した「ドレスデン手稿本によるヴァイス・リュート曲集(加筆修正版)」は初版が1986年です。この頃はヴァイスは1686年生まれ説だったので、ヴァイス生誕300年に合わせたのですが、その後の研究で1687年説が定説になっています。

ドレスデンにあるオリジナル写本は1970年代の前半に当地の博物館から入手したものです。当時はまだドイツは東と西に分かれていて、ドレスデンは東ドイツにあるため連絡や送金なんかがとても面倒でした。そのときに加筆修正した版を出版する許可をいただきました。

その許諾の手紙を探してみたんですが、あれれ、見つかりません。50年近い前ですからさすがに・・・また探してみますが出てこない場合だと、どっかの知事さんと同じパターンですねぇ・・・

この写本が第二次大戦中のドレスデン空襲により焼失していたらヴァイスの重要作品のいくつかが失われてしまっていたことになり、残された写本の無事をホントに感謝したいです。

確か51番は他のソースがないので、空爆で灰燼に帰していたら永遠にその存在が消えてしまうところでした。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(4)

2024年04月11日 20時38分46秒 | 音楽系

51番をコンサートで演奏するとなると、もうこれだけで前半は終わりで休憩ですよね。このソナタの各楽章が長いのは理由があります。本曲のアルマンド、クーラント、ジグは一般的な舞曲のパターンとはかなり異なっています。それは構造が「ソナタ形式」的になっているからです。

もちろん少し後に出現するソナタ形式みたいに明確な2つの主題があるわけではないですが、2つ目の主題みたいな扱いのフレーズがあり、それが調を変えて後半部の終りあたりに出てくる(再現される)、そして後半部の始めは最初の主題の展開みたいにいろんな調をめぐる、という構造はまるでソナタ形式の楽曲みたいです。ソナタ形式の萌芽と言っていいのではないでしょうか。明らかに2,30年後に一般的になるソナタ形式に繋がるスタイルで、最も初期のソナタ形式の楽曲であると言っていいと思います。

同写本の他の曲に書かれた作曲年からすると、51番は1730年代の後半に書かれたようですが、単に調性だけでなく、テーマの扱いも含めてとても構造的な楽曲がすでにヴァイスによって書かれていたわけです。