わたしのこのブログは高校の同級生も何人か読んでくれているので、みんなのところにもきっと来たと思いますが、北水会(同窓会)の100周年記念の冊子が私のところにも昨日届きました。大阪を離れて長いので、寝屋高にも長いこと行ってないのですが、学園祭の記事などがなつかしく、つい没頭して読んでしまいました。吹奏楽部も相変わらず人気のようですね。
ところで、わたしはいったい何期なのだろう、と思って計算してみました。34期でしょうか?あまり自信がないんですが。
寝屋高は本当に楽しかった。あと2回くらい行きたかったですね。2回というのは、3年×2(笑)。自由な学校でしたねえ。生徒を信頼して、何事にも生徒主体で取り組ませてくれた学校でした。コーラスコンクールも、学園祭の演劇も、ものすごく熱かったですね。今でもあのときうたった歌を歌えるくらい。また、私は高校時代、ものすごく勉強しました。大学のときも確かに勉強は大変だったけど、高校時代が人生で一番勉強したような気がします。毎日2時半に起きて勉強していました。悔いのない3年間で、その後の自分の基盤が作られた時代でした。
そういう濃い3年を過ごしたおかげで、今も同級生がつながっているのじゃないかと思います。
ところで、個人的に一番驚いたのは、理研の辨野先生が、寝屋高の先輩だったということです!腸内細菌のシンポジウムなどで何度も講演を聞いていましたが、同窓とは、まったく知りませんでした。
ところで、わたしはいったい何期なのだろう、と思って計算してみました。34期でしょうか?あまり自信がないんですが。
寝屋高は本当に楽しかった。あと2回くらい行きたかったですね。2回というのは、3年×2(笑)。自由な学校でしたねえ。生徒を信頼して、何事にも生徒主体で取り組ませてくれた学校でした。コーラスコンクールも、学園祭の演劇も、ものすごく熱かったですね。今でもあのときうたった歌を歌えるくらい。また、私は高校時代、ものすごく勉強しました。大学のときも確かに勉強は大変だったけど、高校時代が人生で一番勉強したような気がします。毎日2時半に起きて勉強していました。悔いのない3年間で、その後の自分の基盤が作られた時代でした。
そういう濃い3年を過ごしたおかげで、今も同級生がつながっているのじゃないかと思います。
ところで、個人的に一番驚いたのは、理研の辨野先生が、寝屋高の先輩だったということです!腸内細菌のシンポジウムなどで何度も講演を聞いていましたが、同窓とは、まったく知りませんでした。