私は戦後生まれである。いわゆる団塊の世代の最後であって、この世代は食糧難を経験していない。
明日の食べ物に困ったという話は、物語の中でしか知らない。一方で、これも報道で知ったことであるが、後進国には飢餓があるという。
私たちが日々、食べ物を捨てたり腐らせたりしているのに、別に地域に飢餓がある。青臭い正義をふりかざす歳ではないが、これはやっぱりおかしい。何とかしたい。
手っ取り早いのは食糧支援である。だが、この方法は現地人の労働意欲を削いでしまい、現地人はいつまでも食糧支援から抜け出せなくなるという。
だから、食料の生産の支援、つまり井戸掘り、灌漑、農耕方法などを教えるのが先決だと主張して、実践している人々がいる。これは立派なことだと思う。
ただ、それをもっとも邪魔するのは民族紛争だそうだ。こればかりはどんなNPOでも介入できない。
紛争は収まるのを待つよりない。わが国だって400年前には内乱(戦国時代)をやっていたのだ。戊辰戦争も100前にあった内乱である。
民族紛争が収まるには、あと100年が必要だと考えたほうがよさそうだ。
明日の食べ物に困ったという話は、物語の中でしか知らない。一方で、これも報道で知ったことであるが、後進国には飢餓があるという。
私たちが日々、食べ物を捨てたり腐らせたりしているのに、別に地域に飢餓がある。青臭い正義をふりかざす歳ではないが、これはやっぱりおかしい。何とかしたい。
手っ取り早いのは食糧支援である。だが、この方法は現地人の労働意欲を削いでしまい、現地人はいつまでも食糧支援から抜け出せなくなるという。
だから、食料の生産の支援、つまり井戸掘り、灌漑、農耕方法などを教えるのが先決だと主張して、実践している人々がいる。これは立派なことだと思う。
ただ、それをもっとも邪魔するのは民族紛争だそうだ。こればかりはどんなNPOでも介入できない。
紛争は収まるのを待つよりない。わが国だって400年前には内乱(戦国時代)をやっていたのだ。戊辰戦争も100前にあった内乱である。
民族紛争が収まるには、あと100年が必要だと考えたほうがよさそうだ。