私は高校生のころ漫画(1コマ漫画)を描いていた。
当時、流行だった漫画雑誌、「ガロ」とか「コム」に投稿して、1席を取ったこともある。他にジャズ同好会、文芸同好会もやっていて、おかげで大学入試に失敗したが、これは今回の話とは別の話。
漫画雑誌「ガロ」には白土三平氏が忍者ものを描いていて人気だった。そこに、驚くべき新人が現れた。つげ義春氏である。
つげ義春氏の作品が面白すぎて、毎月「ガロ」の発行日が楽しみだった。しかも、つげ氏の作品は、ほとんど読者を裏切らなかった。「赤い花」なんて最高だった。
つげ氏は「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげる氏のアシスタントをやっていた。そこからのデビューである。だから、背景が克明なわりに人物があっさりしているところは、水木氏そっくりだった。
つげ氏の作品は、どんどん前衛化して行った、そしてついに伝説の作品「ネジ式」となって、そこで終わった。正直言って「ネジ式」は私には理解できなかった。面白くもなんともなかった。なのに「ネジ式」は絶賛された。
その後、つげ氏はいくらか作品を発表したが、才能が枯渇したかに見えた。もう20年来、つげ氏の作品にお目にかかっていない。どうしておられるのだろうか?風の便りでは重症の神経症はもう治った聞いていたのだが・・・。
「ネジ式」の最初の場面は、写真の模写である。なぜか、これを誰も言わないのでここで言っておく。写真の元は当時の文芸春秋誌の見開き写真ページに載った、アイヌ民族ウタリ協会会長(?)の写真である。
写真を模写して自分の作品とするのは、かねてより問題になっているけれども、当時は問題にならなかった。というより、気が付かなかったのだろう。
「ゲゲゲの鬼太郎」の原作は水木氏ではなく、名前は失念したが別の漫画家である。元は「墓場の鬼太郎」と言った。原作を水木氏に譲ったのだから、これは問題はなかろう。
水木氏はまだ大活躍している。水木氏のアシスタントだったつげ氏が20年も何の消息も分からない。水木氏が漫画家として(人間としても)いかに長命であるかが、これで分かる。
当時、流行だった漫画雑誌、「ガロ」とか「コム」に投稿して、1席を取ったこともある。他にジャズ同好会、文芸同好会もやっていて、おかげで大学入試に失敗したが、これは今回の話とは別の話。
漫画雑誌「ガロ」には白土三平氏が忍者ものを描いていて人気だった。そこに、驚くべき新人が現れた。つげ義春氏である。
つげ義春氏の作品が面白すぎて、毎月「ガロ」の発行日が楽しみだった。しかも、つげ氏の作品は、ほとんど読者を裏切らなかった。「赤い花」なんて最高だった。
つげ氏は「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげる氏のアシスタントをやっていた。そこからのデビューである。だから、背景が克明なわりに人物があっさりしているところは、水木氏そっくりだった。
つげ氏の作品は、どんどん前衛化して行った、そしてついに伝説の作品「ネジ式」となって、そこで終わった。正直言って「ネジ式」は私には理解できなかった。面白くもなんともなかった。なのに「ネジ式」は絶賛された。
その後、つげ氏はいくらか作品を発表したが、才能が枯渇したかに見えた。もう20年来、つげ氏の作品にお目にかかっていない。どうしておられるのだろうか?風の便りでは重症の神経症はもう治った聞いていたのだが・・・。
「ネジ式」の最初の場面は、写真の模写である。なぜか、これを誰も言わないのでここで言っておく。写真の元は当時の文芸春秋誌の見開き写真ページに載った、アイヌ民族ウタリ協会会長(?)の写真である。
写真を模写して自分の作品とするのは、かねてより問題になっているけれども、当時は問題にならなかった。というより、気が付かなかったのだろう。
「ゲゲゲの鬼太郎」の原作は水木氏ではなく、名前は失念したが別の漫画家である。元は「墓場の鬼太郎」と言った。原作を水木氏に譲ったのだから、これは問題はなかろう。
水木氏はまだ大活躍している。水木氏のアシスタントだったつげ氏が20年も何の消息も分からない。水木氏が漫画家として(人間としても)いかに長命であるかが、これで分かる。