やなせたかし氏は、私が高校生のころすでに一流の漫画家だった。
当時「週刊朝日」が、連載漫画を一般公募した。やなせたかし氏は公募し、みごと特選で、週刊朝日に連載するようになった。
私はすでに著名な人が、わざわざ一般公募に応じるわけが分からなかった。今でも分からない。当選漫画は「ボウ氏」という題名だった。「某氏」と「帽子」をかけた題名で、主人公は帽子をかぶって、顔が見えなかった。シュールな好作品だった。
そのころすでに、やなせ氏は「漫画家になる方法」というような題名の本を出していて、私はそれを読んだ。
細かい内容は忘れたが、ただひとつ覚えているのは「一流誌からデビューせよ」というノウハウだった。末流誌からデビューすると、漫画が荒れるのだという。
今、やなせ氏というとアンパンマンである。ボウ氏からアンパンマンまでの氏の軌跡を見てきて思うのは、氏の一貫したヒューマニズムである。「手のひらに太陽を」は氏の作詞である。
少年のころ私は、やなせ氏のような漫画家になりたいと思っていた。でも、医者にもなりたいと思っていたので、両方は無理だろう。片方だけ実現した。
先日、水木しげる氏について述べたが、水木氏に負けずやなせ氏も長命である。お二人には今後もよい作品を作り続けていただきたいと思う。
当時「週刊朝日」が、連載漫画を一般公募した。やなせたかし氏は公募し、みごと特選で、週刊朝日に連載するようになった。
私はすでに著名な人が、わざわざ一般公募に応じるわけが分からなかった。今でも分からない。当選漫画は「ボウ氏」という題名だった。「某氏」と「帽子」をかけた題名で、主人公は帽子をかぶって、顔が見えなかった。シュールな好作品だった。
そのころすでに、やなせ氏は「漫画家になる方法」というような題名の本を出していて、私はそれを読んだ。
細かい内容は忘れたが、ただひとつ覚えているのは「一流誌からデビューせよ」というノウハウだった。末流誌からデビューすると、漫画が荒れるのだという。
今、やなせ氏というとアンパンマンである。ボウ氏からアンパンマンまでの氏の軌跡を見てきて思うのは、氏の一貫したヒューマニズムである。「手のひらに太陽を」は氏の作詞である。
少年のころ私は、やなせ氏のような漫画家になりたいと思っていた。でも、医者にもなりたいと思っていたので、両方は無理だろう。片方だけ実現した。
先日、水木しげる氏について述べたが、水木氏に負けずやなせ氏も長命である。お二人には今後もよい作品を作り続けていただきたいと思う。