院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

シベリヤ抑留

2008-08-13 07:39:25 | Weblog
 亡父は22歳のとき、太平洋戦争に志願兵として参加した。そして満州(今の中国東北地方)に送られた。

 でも、すぐに太平洋戦争は日本の敗戦でもって終わった。父は何の戦闘もせずに、戦争は終わった。

 だが、そのあとにおかしなことが起こった。満州の兵隊がソ連によって、捕らえられたのである。その数6万人。

 全員シベリヤ送りとなった。シベリヤでの捕虜生活は過酷だった。強制労働と飢え、そしてひどい寒さ。

 多くの捕虜が死んでいった。飢え、病気、寒さに加えて、さしたる理由のない処刑。

 6万人の捕虜のうち、生還したのは2万人だった。その2万人の中に父が入っていた。

 これは大量虐殺である。原爆や東京大空襲に匹敵する。そういう蛮行をソ連がやったことが今、忘れ去られようとしている。

 父は生前、シベリヤ抑留の慰労金として、政府から20万円をもらった。それで、おしまいだった。

 われわれは、原爆被害への抗議と同様に、シベリヤ抑留というソ連の悪行を糾弾しつづけなければならない。

 私は幼いころからシベリヤ抑留の過酷さを父から聞いていた。父は抑留されるときに、自分ではどうしようもない力に振り回されて、シベリヤ行きの貨物列車に乗らざるをえなかったと言っていた。

 父が病気で死ぬときに言っていたうわごとは、抑留時代のことだった。