シベリヤ抑留での一番の苦痛は飢えであると亡父は言っていた。
他人の人糞を洗って、糞に残っている未消化の穀物を食べていた者もいるという。さすがに父はそこまではできなかったという。
父は自分の金歯を抜いて、現地人にパンに交換してもらったことがあるそうだ。2斤くらいのパンをもらったが、いっきに食べてしまったとか。
次に怖かったのは、ささいなことでの処刑であったという。夜中に看守が回ってくる足音に恐怖を感じたと父は言っていた。いつ、引っ張り出されて、理由も分からないまま処刑される者が多かったという。
アメリカの原爆という暴挙は忘れられないが、ソ連によるシベリヤ抑留という暴挙は忘れられそうである。
シベリヤ抑留の生き証人は、まだいるが高齢である。それを引き継ぐわれらの世代も、じきにいなくなるだろう。
ソ連の暴挙の跡は、北方領土占領という現実としてまだ残っている。
他人の人糞を洗って、糞に残っている未消化の穀物を食べていた者もいるという。さすがに父はそこまではできなかったという。
父は自分の金歯を抜いて、現地人にパンに交換してもらったことがあるそうだ。2斤くらいのパンをもらったが、いっきに食べてしまったとか。
次に怖かったのは、ささいなことでの処刑であったという。夜中に看守が回ってくる足音に恐怖を感じたと父は言っていた。いつ、引っ張り出されて、理由も分からないまま処刑される者が多かったという。
アメリカの原爆という暴挙は忘れられないが、ソ連によるシベリヤ抑留という暴挙は忘れられそうである。
シベリヤ抑留の生き証人は、まだいるが高齢である。それを引き継ぐわれらの世代も、じきにいなくなるだろう。
ソ連の暴挙の跡は、北方領土占領という現実としてまだ残っている。