実証主義的心理学者、H.J.アイゼンクが精神分析を徹底的に批判したのが1987年。(『精神分析に別れを告げよう』、批評社、1988)。
たいへん面白い本である。以来、20年以上たつが、精神分析の側からの反論はいっこうに見かけない。
見かけないどころか、精神分析医はアメリカではJ.ハーマンの「記憶回復療法」なるものによって、若者に「あなたは幼少時に親から虐待を受けていたはずだ」と思い込ませ、ありもしない記憶を掘り起こした。
その結果、若者が親を訴える事案が続出し、裁判所もあやふやな証言のみで親を有罪にするようになった。
身に覚えのない親たちは反撃に出て、ようやくこの混乱はおさまったけれども、(つまり「記憶回復療法」がまやかしであることが、はっきりしたけれども)、アイゼンクが精神分析批判をしたときに、精神分析医にいくらかでも謙虚さがあれば、こうした事態にはならずに済んだはずだ。
ハーマンの本『心的外傷と回復』(翻訳版はみすず書房、1996、米での出版は1992)は、専門書でありながら、ペーパーバックになって、庶民に大いに読まれた。その結果がこうである。アメリカの大衆がいかにブームに乗せられやすいかという、これは好例である。この本を顧みるアメリカ人は、さすがにもういない。
アメリカでは精神分析療法はそれなりに高価だ。精神分析医たちは金儲けのために「記憶回復療法」をやったと言われても仕方がない。
そして「記憶回復療法」に大枚のお金を支払って、裁判でまた弁護士に儲けさせ、結局のところ「その幼児期記憶は、精神分析医による誘導で、単なるでっちあげだった」では笑い話にもならない。
これは裁判所まで荷担したアメリカの一大スキャンダルだ。このような大事件を我が国のマスコミは全然伝えなかった。それがかえって不思議である。
ハーマンはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を拡大解釈した張本人である。
たいへん面白い本である。以来、20年以上たつが、精神分析の側からの反論はいっこうに見かけない。
見かけないどころか、精神分析医はアメリカではJ.ハーマンの「記憶回復療法」なるものによって、若者に「あなたは幼少時に親から虐待を受けていたはずだ」と思い込ませ、ありもしない記憶を掘り起こした。
その結果、若者が親を訴える事案が続出し、裁判所もあやふやな証言のみで親を有罪にするようになった。
身に覚えのない親たちは反撃に出て、ようやくこの混乱はおさまったけれども、(つまり「記憶回復療法」がまやかしであることが、はっきりしたけれども)、アイゼンクが精神分析批判をしたときに、精神分析医にいくらかでも謙虚さがあれば、こうした事態にはならずに済んだはずだ。
ハーマンの本『心的外傷と回復』(翻訳版はみすず書房、1996、米での出版は1992)は、専門書でありながら、ペーパーバックになって、庶民に大いに読まれた。その結果がこうである。アメリカの大衆がいかにブームに乗せられやすいかという、これは好例である。この本を顧みるアメリカ人は、さすがにもういない。
アメリカでは精神分析療法はそれなりに高価だ。精神分析医たちは金儲けのために「記憶回復療法」をやったと言われても仕方がない。
そして「記憶回復療法」に大枚のお金を支払って、裁判でまた弁護士に儲けさせ、結局のところ「その幼児期記憶は、精神分析医による誘導で、単なるでっちあげだった」では笑い話にもならない。
これは裁判所まで荷担したアメリカの一大スキャンダルだ。このような大事件を我が国のマスコミは全然伝えなかった。それがかえって不思議である。
ハーマンはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を拡大解釈した張本人である。